この11月、裁判員裁判において初の死刑判決が出されたことで、一般市民から任命された裁判員の心理的負担を問題視する声が高まっている。メディアを通じて漏れ伝わってくる裁判員たちのホンネを聞き、「もし自分がある日突然裁判員に任命されたら……」と不安を覚える人が増えている。法曹界の意識改革や裁判への民意の反映など、発足当初は様々なメリットが掲げられた裁判員制度だが、果たして現状で機能的に運用されていると言えるだろうか? 関係者の声を基に、今後の展望を分析する。(取材・文/友清 哲、協力/プレスラボ)

もし突然裁判員に選ばれたら――。
巷に蔓延する「漠然とした不安」

 もし自分が、ある日突然裁判員に選ばれたら――。

 最近、このような不安を感じる人が増えているという。

 裁判員制度の導入から1年半。様々な事例を媒介として、それなりに国民の耳に馴染んできた感のあるこの制度は、もともと日常と隔離された世界で行なわれている刑事裁判に、できるだけ民意を反映させようという目的で発足した。意識改革を目指す法曹界にとって、それ自体は前向きな考え方である。

 しかし、特別な場合を除いて有権者に等しく参加を義務付けるこの制度には、発足前から「運用に無理があるのではないか」という指摘が相次いだ。

 2006年に実施された裁判員裁判に関する「特別世論調査」によると、「あまり参加したくないが、義務なら参加せざるを得ない」と回答した人が4割以上、「義務であっても参加したくない」と回答した人が3割以上を占めていたという。

 実際に制度が発足してからも、やはり多くの疑問が噴出している。とりわけ問題視されているのは、重大事件の裁判に参加した人々が、後々まで強いストレスを抱え込んでしまうことである。先日、NHKが裁判員を務めた人たちに行なったアンケート調査で、「心理的な負担を感じた」と回答した人が7割近くに上ったことからも、それは明らかだ。

 本来、民意を反映するために始まった裁判員制度によって、逆に裁判員がストレスを募らせているという「矛盾」を、我々はどう捉えればよいのだろうか。

 そもそも、「裁判員のストレス」が数多く報道されるようになった背景には、全国的に知名度の高い重大な裁判員裁判が相次いだことがある。