天皇の生前退位などを議論する「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」が設置されるなど、「平成」の終わりについて、静かに議論が始まりつつある。昭和天皇崩御後の自粛ムードから始まった「平成」元年はどんな年だったのか? すでに四半世紀を超えた昔となった当時、いまの社会とはずいぶんと違った風景が広がっていた。バブルの時代を知る年代にとっては懐かしい、知らない年代にとっては驚きの平成元年回顧録をお届けする。

年賀状から「おめでとう」が消えた!
昭和最後の日本の風景

 1989年の年明けは粛々とした空気に包まれていた。前年の9月に重体が伝えられて以来、昭和天皇の病状は一進一退。年末からは「意識がほとんどない」状態と、下血量、輸血量が連日手短に報じられるまま、年が明けたのである。

 なにより、「前の経験」が60年以上前だったから、天皇の崩御にどう向き合っていいのか経験値をだれも持っておらず、時には過剰にも走った自粛ムードが日本を覆うことになったのである。

 たとえば年賀状。自粛ムードを読んで当初予定から1割弱少なく発行された官製の年賀状だが、それでも発売された1949年以来、初めて売れ残りが2%ほど出て、さらには1割以上が投函されていなかった。特に企業のものからは賀、寿、慶、恭、おめでとう、およろこび、といった言葉が消え、赤も避ける傾向が顕著だったという。

リゾート物件価格は今の10倍!!バブルの狂騒を振り返るバブルの最中に誕生した、新しい元号「平成」。改めて眺めてみると、想像を絶するような狂乱の時代であった。 Photo:Fujifotos/AFLO

 そして崩御が発表されたのが1月7日。昭和64年は7日しかなく、「修文」「正化」の別案があった中から選ばれた新しい元号、「平成」元年がスタートする。

 天皇崩御の直後は関連報道、弔意広告、CMやイベントの自粛など日本全体の空気は服喪となっていたが、新聞紙面を追って見る限り、1月中旬には、世の中の空気はすでに日常に戻っている。葬儀に当たる大喪の礼は2月24日に内閣の主催で行われているが、このときの服喪の雰囲気は、ごく常識的なものにとどまった。

 昭和天皇が崩御して数日間、弔意に包まれたというか、さまざまな立場、業界が弔意を示さざるを得なくなった。飲食店は派手なポスターなどを撤去、遊園地やディスコ(いまではクラブと表現した方が近い)も休業が相次いだ。

 コンサートや演劇も多くが休演し、地上波テレビはNHK、民放とも特別編成で対応した。