19人の尊い命が奪われた神奈川県相模原市で発生した知的障害者福祉施設での殺傷事件。今、福祉施設に限らず、あらゆる施設における危機管理のあり方が問われている。15年前の2001年6月、大阪教育大学附属池田小学校で起きた無差別殺傷事件では、8人の児童が死亡し、13人の児童と2人の教師が重傷を負った。事件後に同校の学校長に就任し、以降、被害児童の家族との交渉や事件後の危機管理体制の立て直しに取り組んできた大阪教育大学・学校危機メンタルサポートセンター長の藤田大輔氏に池田小学校児童殺傷事件からの教訓を聞いた。

事件当日は通用門が空いていた

──今回起きた障害者福祉施設における殺傷事件をどのように見ていますか?

児童殺傷事件から15年、大阪・池田小の危機管理最新事情ふじた・だいすけ
大阪教育大学学校危機メンタルサポートセンター長。2007年4月~2011年3月まで、大阪教育大学附属池田小学校長。2012年4月から大阪教育大学学校危機メンタルサポートセンター長。2014年からは学長補佐(学校安全担当)を併任。学校安全教育カリキュラムの開発、情報機器を用いた学校安全管理システムの開発、諸外国で共有可能な学校安全チェックリストの開発、安全教育データベースの構築準備などに取り組む。

 警備体制や初動対応がどうだったか詳しいことはわかりませんが、犯人が元職員だったということで、こうした内部側の人間が起こす犯罪を防ぐのはとても難しいことだと感じています。

 しかも、収容されてる人が弱者であるという中で、逃げられない人をどう守るのかは簡単なことではありません。

 ただし、相模原の施設に限らず、全国どこの組織でも、内部犯罪までを想定しないにしても、事故や犯罪まで想定した教育や訓練は、強化していく必要があります。

 今回の教訓をどう生かしていくかが最も問われるべきことだと思います。

──池田小学校では、どのような取り組みをされたのですか?

 事件の直後から学校と遺族の方々との賠償交渉が始まり、2年後の2003年に、事件に係る御遺族と文部科学省、大阪教育大学そして附属池田小学校との間で合意書を締結して賠償が確定しました。合意書の内容は事件の再発防止などに関することで、その中に「大阪教育大学・学校危機メンタルサポートセンター」の設立が盛り込まれました。

 当初は、児童や保護者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)対策などトラウマ回復支援を中心に行う施設という位置付けでしたが、ご遺族の方から学校の危機管理や安全教育をやる部門が必要との指摘を受け、若干遅れて学校危機管理分野がこのセンターでスタートしたのです。僕がセンターに職員として着任したのは2004年のことです。

 遺族の方々に合意書に署名していただくにあたっては、附属池田小学校長、大阪教育大学長、そして文部科学大臣の3人が遺族の方々に謝罪をしました。

 小学校長が謝罪をしたのは、事件当日、通用門を閉めていなかったということに対してです。池田小学校事件の2年ほど前、京都で日野小学校事件が起きました。放課後、小学校の運動場で1年生の男の子が遊んでいたところ、外部から不審者が侵入、男の子を殺害して逃走、自殺したという事件です。

 この事件を受けて文科省は全国の学校に対して、門を閉じておくようにという通達文書を出しています。大阪教育大学は全部で11の附属校園(幼稚園を含む)を持っていますが、附属池田小学校では通達の内容は職員会議において説明され、全職員に対して注意喚起を促したということが議事録に残っていました。

 しかし、事件当日は、正門は閉じられていたのですが、正門の横にある自動車の通用門が閉められていませんでした。犯人はその通用門から侵入したのです。なぜ通用門が開いていたかというと、たまたまその日の午後から算数の研究発表会が予定されていて、全国から数百人の参観者が来校するため、PTAの手伝いの方や教科書・参考書などの展示販売をする業者がトラックで荷物を運び込めるようにするためでした。

 池田小学校は職員会議をしていながら通用門を閉めていなかったということで、重大な管理上の瑕疵があったことになり、学校長が謝罪したのです。遺族の方々にしてみれば、池田小学校は加害者に近いという認識です。

 大学については、文部科学省からの通達文書を附属の11校園に配付した後、何の確認も取っていないことが遺族の方から指摘されました。文書を配付した以上、責任を持って、その状況が実践されているかどうかの確認を取るべきだったということです。