私は、ひそかにキルケゴールの言葉に心を打たれながらも、少し焦りを感じていた。

「不安と誠実に向き合う。不安に左右されて、自分を騙してはいけません」

 もしかして、私は不安や寂しさを直視せずに絶望しているのかもしれない、と。自分の気持ちに正直になることは、大切だ。けれども、自分の気持ちに正直になることで、自分のいま置かれている状況がみじめに思えてくることもある。家族に対する諦めも同じようなものかもしれない。

 きっと、そうだ。それが、絶望のはじまりなんだ。

 私は、自分をみじめに思いたくないあまりに、自分の心に蓋をして自分は決して寂しくないと思いこんでいるだけなんじゃないだろうか。

 不安は深淵だ。覗きこめば覗きこむほど、その影に引きこまれてしまう。
しかし、その怖さに怖気づくだけではきっとだめで、不安に見切りをつけて、行動を起こすことが大切なこともある。

“leap of faith”“清水の舞台から飛び降りる”。いまの私には、覚悟を決めて、行動に移すことが何より欠けているということなのだろうか。

 窓の外では、来た時よりもより強く、雨が降りしきっていた。雨が降っているから外に出ないでいいや、と自分を納得させることは簡単だけれども、そうしているうちにも時間は過ぎて行くのだ。

 いまはまだ降り止みそうにない雨も、いつかは上がってしまうように終わりというのはいつか訪れてしまうのだ。終わりが来るまでの間、自分を納得させる言い訳を探してばかりの人生が自分の一生にならないように、いま自分に出来ることをしなければならないのだ。

 心に焦りを感じながらも、私は自分の人生に対しての愛おしさも、初めて感じていた。

「ところでアリサさん……」

「まだ、何かあるの?」

「いや、これ……すっごく美味しいよ!こんなお店があるなんてしらなかった。透き通るような甘さに、このシロップの神秘的なエメラルド!ああ、この美しさを何に残しておけばいいのだろう、カメラではこのニュアンスをとらえることが出来ない!」

 そう言うとキルケゴールはポケットからスマホを取り出し「インスタに載せよ」と呟き撮影を始めた。

「そ、そう?」

「いや〜本当に最高だよ、このお店!僕の人生の中で殿堂入りしたね!いや〜またすぐに来たいな〜」

 さっきまでとは、うって変わりキルケゴールは機嫌がよくなったようだ。私も淡いエメラルド色の琥珀流しをスプーンですくい、口へ運んだ。

 何かを選ぶということは、選ばなかった可能性を生む。そして私たちは何かに行きづまった時に、選ばなかった可能性に苦しめられるかもしれない。

 それは、自分の弱さからくるものだろうか?

 それとも、自由が持つ怖さなのだろうか?

 どちらにせよ、そんな可能性には底がない。底を見つめず、前を見つめて進むしかないのだ。私はそんなことを考えながら、琥珀流しを頬張った。

 清涼なペパーミントの香りと味が口の中に広がる。今日、ここに来るということを選んでよかったなという思いと一緒に爽やかな甘みを噛み締めた。行動は時に、予期せぬ喜びを生むものだ。

(つづく)

たとえ全世界を征服し、獲得したとしても、自分自身を見失ったならば、<br />なんの意味があるというのだろうか<br />【『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』試読版 第26回】

原田まりる(はらだ・まりる)
作家・コラムニスト・哲学ナビゲーター
1985年 京都府生まれ。哲学の道の側で育ち高校生時、哲学書に出会い感銘を受ける。京都女子大学中退。著書に、「私の体を鞭打つ言葉」(サンマーク出版)がある