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特別リポート:「祖国は日本」かなわぬ夢 漂う難民申請者の子どもたち 

2016年11月22日

急速な高齢化の進展で人口が減り続ける日本。その窮状を救う一手とされるのは、海外からの労働力確保だ。11月18日、外国人技能実習制度適正化法とともに、外国人の在留資格に「介護」を新設する改正入管法が成立するなど、受け入れ拡大への動きは前進し始めたかにみえる。

その一方で、日本に定住を求めてやってきた難民申請者には、働くこともできない不安定な暮らしを強いられる人もあり、日本で生まれた彼らの子どもたちは「祖国」での将来を描けない袋小路で漂っている。政策の壁に阻まれる家族の姿を、数十人の人々へのインタビューをもとにリポートする。

[松戸市(千葉県) 22日 ロイター] グルセイワク・シング(17)が初めて日本の法務大臣に手紙を書いたのは、10歳の時だった。それから7年近く経った今も、彼は手紙を書き続けている。正確な日本語で書かれた書簡は合わせてすでに50通を超えた。

両親が20年近くも住み続け、自分も弟も妹も生まれ育った国である日本に、なぜ家族で定住できないのか。いつ来るともしれない拘束・収容の不安になぜ耐え続けなければならないのか。グルセイワクの手紙には、ぬぐい切れない疑問と憤りの言葉があふれている。

 「ぼくたち家族は、日本が大好きです」。2010年3月6日に千葉景子法務相(当時)に宛てた手紙の中で、グルセイワクは訴えた。「インドには帰りたくありません。ビザ(査証)もお願いします」。

そして、今年8月、入国管理局への手紙にはこう書いている。

 「僕と僕の弟妹は日本で生まれ日本で育ってきました。それでも入管はインドに帰れと言っています。なぜ僕達3人は日本で生まれ育って来たのに親の祖国に帰らなければならないのでしょうか。我々には理由が分かりません」。

しかし、返事が来たことは一度もない。そして、手紙に綴られた彼の願いがかなう兆しも、まだ全く見えてはいない。

<制約される未来、違法労働という将来>

シーク教徒である彼の両親がインドでの迫害から逃れ、日本にやってきたのは1990年代。グルセイワクには双子の弟と妹があり、家族全員が日本での定住を求めて難民申請をしている。しかし、定住の希望は実現しておらず、みな「仮放免」という立場のままだ。仮放免者には就労許可がなく、健康保険にも入れず、住んでいる都道府県から出るには外出許可を得なければならない。

いま日本が抱える仮放免者はおよそ4700人。彼らは難民申請に対する政府の判断が出るまでは国内での生活を許されているが、入国管理局の職員によって予告なしに家を捜索されることがあり、いつ収容所に拘束されるかわからない。子どもたちは、学校には通えるものの、両親が働けないため、給食、制服、教科書の資金負担は重く、大学進学は不可能に近い夢。義務教育の後に子どもたちを待っているのは、無職で生きるか、あるいは違法労働に身を委ねるか、という過酷な選択だ。

<当局の厳しい姿勢は変わらず>

グルセイワクと同じ境遇にある子どもたちは、日本で500人を超えている。「仮放免」と「定住」の間の深い隔たりに取り残された子どもたちは、将来の可能性を著しく制約され、先の見えない袋小路に置かれている。

 「日本で生まれてずっと日本人としかつきあっていない。日本社会がなんでぼくを受け入れないのか理解できない」とグルセイワクは言う。

こうした声にもかかわらず、法務省の厳しい姿勢は変わっていない。日本で生まれたり、幼少で親と日本に来たからといって、法律の適用が特別になるわけではない、というのが同省の立場だ。入国管理局警備課の鳥巣直顕法務専門官はロイターの取材に対し、グルセイワクのような仮放免の子どもたちについて「退去強制が出ているから、(日本にいるのは)違法といえば違法。日本に住む権利を持っているわけではない」との認識を明らかにした。

日本では高齢化の進展で労働人口が減少しているにもかかわらず、外国人労働者や移民の受け入れ数はなお低水準にとどまっている。2015年末時点で審査中の難民申請の件数は1万4000件近くに上ったが、昨年、難民と認められたのはわずか27人に過ぎない。2014年は11人だった。

欧州連合(EU)の統計局ユーロスタットによると、欧州では今年1─6月に49万5000件以上の難民申請を処理し、約29万3000人が認定された。人口が日本の10分の1しかないベルギーでは、同期に1万3000件超の難民申請を審査し終り、ほぼ3分の2を認定した。このうち1975人は未成年だった。人口が日本の3分の2程度のドイツでは、同期に25万6715件の申請を処理し、17万4230人を認定している。

一方、欧米の一部では移民排斥の動きも強まっている。ドナルド・トランプ次期米大統領は、選挙期間中に、違法滞在している外国人数百万人を国外退去させる、と約束した。

日本では自民党が今年、特命委員会を設置して外国人労働者の受け入れについて議論し、5月にまとめられた提言では、人手不足の分野で外国人労働者の受け入れを進めていく方針が示された。政府の再興戦略2016でも外国人受け入れについて具体的な検討を進める、とされ、政府与党はようやく重い腰を上げたかに見える。ただ「具体的な検討」は何も進んでいないのが現実だ。

グルセイワクが最初に手紙を書いた当時の法務大臣、千葉景子弁護士は、日本の移民政策を見直す必要があると話す。ロイターの取材に対し、「もう少しきちんとした制度にして、在留資格の幅を広げればいいと思う」とし、具体的には「アムネスティーをして、これまで不法扱いだった人に滞在の資格・認可をあたえる、というのも一案。これについては議論を行った経緯もある」と述べた。

<代償厳しい選択肢>

子どもたちにはこの袋小路から脱出できる選択肢がないわけではない。しかし、それには親子の別離という厳しい代償が伴う。

仮放免者5家族がロイターに明らかにしたところによると、入管当局は、彼らに対し、両親が本国に帰ることを条件に、子どもたちに日本での在留資格を与える、という提案をしてきたという。「日本への定住」という子どもたちの願いはかなうが、家族が共に暮らすことはできなくなる。

入管では、こうした扱いが存在することは認めているものの、あくまでも家族側からの依頼に応じる形で行われる、としている。

しかし、グルセイワクの父親、バルプール・シングの話は入管の説明とは異なる。2015年のある日、東京入国管理局からの電話で、バルプールと妻はその日のうちに面接に来るよう言われた。それまでは入管からの呼び出しはほとんどが文書による連絡だった。入管からの突然の電話に不安を感じたとバルプールは振り返る。その数カ月前、難民不認定決定に対する異議申し立てが却下されたことも脳裏をよぎった。 

バルプールによると、その面接で入管側が話したのは、両親がインドに帰れば、グルセイワクと弟・妹たちに、日本での在留資格を与えられるかもしれない、ということだった。バルプールはこの申し出を一蹴した。「子どもたちはまだ小さく、私たちが離れるわけにはいかない。絶対に無理です」。帰宅した父からこれを聞いたグルセイワクも驚き、そのようなことはできないと言ったという。

ロイターの取材に対し、入管はそうした方法を当局側から「差し向ける」ことはない、と述べた。ただ家族の側から提案があれば、検討はするとしている。子どもに在留許可が出る可能性に期待して両親が帰国したというケースについて、件数は把握していないという。

 「子どもについては、本邦にいる看護養育者のもとで、学業を継続させてほしいという希望があれば、親は帰国して、子どもについては適切な看護養育者のもとで勉強を継続できる十分な環境が整っていることを前提として、在留特別許可について検討することはありえる」(入国管理局審判課の白寄禎法務専門官)というのが、入管側の説明だ。

千葉弁護士は、2009年から2010年までの法相在任中に、こうしたケースを何件か扱ったことがあるという。千葉氏によると、当局側の対応に基準があるわけではなく、ケースバイケースで処理されていた。「親と子どもを引き離すのは、本来あるべき姿ではない。しかし、それだけの理由で親を救うわけにもいかない。結局、親はいったん帰国してもらおうということになる」。

<迫害、拷問の果ての来日 そして拘束>

バルプールには、インドに帰れない事情がある。シーク教徒として迫害を受け、インド警察に捕まって拷問されたのだという。右脚には電気ショックで拷問されたという傷跡が残っていた。

インドのパンジャブ州警察によると、バルプールは1989年3月に、「テロリストをかくまい、武器を保管した」容疑で逮捕された。その後、無実が証明され、同年11月に釈放されたという。ロイターの取材に対し、同警察はバルプールに対する嫌疑はなく、帰国する自由はあると語った。

バルプールは香港で数カ月過ごしたあと、1992年に日本に来た。家族は4回にわたる難民申請が不認定となり、いま新たな申請を行っている。

2010年には10カ月間、バルプールは入管の施設に収容され、その間に妻が病気になった。当時10歳だったグルセイワクは母と弟、妹の面倒を見なければならなかった。「まだ小さかったから何が起こっているのかわからなかった。お母さんは泣いていて、弟と妹はパニックになっていた」。

グルセイワク自身が家族を支えなければならなかった。彼は自ら弁護士や支援団体に助けを求める一方、近所を回り、自分と家族へのビザ発給を求める嘆願書への署名を集めた。さらに法相に手紙を書き、「お父さんを早く入管から放してください」と強く訴えた。

千葉元法相は、グルセイワクの手紙を当時読んだかどうか覚えていないという。しかし、ロイターがこの手紙のコピーを見せ、いま何を伝えたいかを尋ねると、「ごめんね。十分に対応できる仕組みが日本に作れていなくて、辛い思いをさせてしまった。頑張ってね、と言ってあげたい」と話した。

<迫る進学、のしかかる負債>

グルセイワクの両親は働くことができないため、一家は国内外のシーク教徒による献金などで細々と生活している。健康保険もなく、医療費の負債は積み上がる一方だ。5月にグルセイワクが病気になり、検査の費用約8万円が新たな債務になった。月に約5000円ずつ返済していくことを病院に約束している。「いつも心配している。考えすぎかもしれないけど。大学進学が目の前にきているし・・・」とグルセイワクは話す。

来春には高校3年生となるグルセイワクは、大学でウェブデザインの勉強がしたいという。学校ではIT系の部活に参加、パソコンを作ったこともある。日本のシーク教徒コミュニティーに関するウエブサイトも運営し、ブログも書いている。

日曜日には、都内のお寺で、シーク教の集会が開かれる。父バルプールが祈りを先導し、子どもたちも楽器を鳴らして儀式に参加する。最後に、約60人の信徒たちと、食事を分け合って食べる。

<「夢を持たせて」>

シング一家はいま、入管当局の監視下に置かれている。家族は皆、2、3カ月ごとに自宅から往復3時間かけ、仮放免の更新に東京入管まで行かねばならない。日本ですでに20年近くになる一家の歴史は、強制送還と収容の不安と戦う日々だったと言っても過言ではない。

予告なしに入管職員が家にやってきたのは今年初めだった。6万人を越える不法滞在者の取り締まり強化の一環だったと思われる突然の訪問で、職員は洗濯物など家の内部の写真を撮って行った。ロイターが入手した法務省の「内部通達」によると、同省は昨年9月、仮放免者への監視を強めるよう各入国管理局に一斉に指示を出していた。

法務省の鳥巣専門官は、シング家の捜索については個別のケースなのでコメントできないとしたが、入管がこうした予告なしの訪問を仮放免者に対し行うことはあると認めた。就労など、仮放免の条件に違反していないかを確認するためだという。

千葉元法相は仮放免という制度について、「無理がある制度で、矛盾している。働いてはいけないならどう生活するのか。おかしな話だ」と話す。

鳥巣専門官はこう反論する。「非人道的だとか欠陥がある制度だとは認識していない。制度自体を改革するとか変革するという予定はない」。

返事の来ない手紙を何年も書き続けてきたグルセイワクは今年8月、仮放免者や支援団体が行った法務省へのデモに初めて参加した。グルセイワクと父、別の仮放免の3家族は雨の中、法務省前で「ビザをください。勉強がしたい。夢を持たせて」と訴えた。

グルセイワクは言う。「もっと声を上げていかなければ。そうじゃないと誰にもぼくらの状況を知ってもらえない」。

(宮崎亜巳、舩越みなみ、Thomas Wilson; Additional reporting by Manoj Kumar and Rupam Nair in New Delhi, and Himanshu Ojha in London; 編集:北松克朗)

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