日常の中で素通りしてしまう
「ポストの上のクマ」を探す

──企業の中にも、世の中の潜在的なニーズや時代の感覚を探ることに苦労している方が多くいます。川村さんはどのような訓練、または習慣づけをしているのでしょうか。

 そうですね、僕はいつも「ポストの上のクマ」を探しているのです。

──それはどういうものですか。

「郵便ポストの上に乗ったクマの縫いぐるみ」を気にしつつも、通り過ぎてしまう人々(写真はイメージ)  Photo by Takeshi Kojima

 ある日、いつも利用している駅のそばにおかしな光景がありました。赤い郵便ポストの上にクマの縫いぐるみが乗っていたのです。おそらく何万人もの目に触れたはずです。ですが、誰も「あのクマ、おかしいよね」と口に出すことはせず、何日も無視して通り過ぎていました。

 そのとき自分がやっている仕事がどういうことなのか、ということに気付いたのです。僕の仕事とは、その縫いぐるみを持ち上げ、「これ気になりませんか?」と叫ぶことなのではないかと。僕が声を出したそのとき、皆がこちらを見て「そう、そう。ずっと気になっていた」と言ったときに、僕の描いた物語が皆の物語になる気がしたのです。

 皆が気にしているけど、なぜか無視してしまうもの。そんな「ポストの上のクマ」は、東京の街を歩けば、至る所に見つかります。「なぜ、こんな所にドーナツ屋ができているのか」「なぜ、ここに古い看板がそのままになっているのか」と。

 もし、他の方との違いがあるならば、このように「なぜ」や「変だ」と思う量が多いのだと思います。さらに「変だ」と思った気持ちに自分が正直であろうと心掛けていることがあるのかもしれません。

 もう一つは環境に恵まれているということです。映画という場のすごさといえば、時代の最も売れている小説家や漫画家、映画監督、脚本家、俳優、ミュージシャンたちが集まってくるところにあります。映画化されるのは市場の審判を受けて勝ち残った一握りの作品です。常にそういったクリエーターたちに囲まれて、戦いを繰り広げているので、得るものは多大です。

──新海監督との対談イベントで、新海監督は川村さんのことを褒め言葉として「誰とでも寝る人だ」と評していました。クセの強いトップクリエーターたちと、なぜ幅広くお付き合いできるのでしょうか。

 いつも、人々の集合的無意識を突くような物語を、その時代に最も尖ったクリエーターたちと作りたいと思っています。そのため、映画として表現したいことや自分のやりたいことをはっきりと描いています。その表現の仕方において、理想のチームがあり、やりたいことに合わせて、毎回そのチームが変わっていきます。その点で、誰とでも付き合えるというよりは、僕のやりたいことがはっきりしているので、それを共有できると思ったクセのある天才と一緒に「やるしかない」という感覚です。