明治維新という
事件や事変は存在しない!?

 そもそも明治維新という名の事件なり、事変というものは歴史上どこにも存在しない。
 今更ながら、この初歩的な一点を明確に意識しなければ、幕末動乱の史実というものはいつまで経ってもその実相が浮かび上がらないであろう。

 俗にいう明治維新を強いて簡略に定義づければ「江戸幕府とその社会体制の転覆を図り、天皇親政を企図して、体制としてこれを実現させた、薩摩長州による一連の政治、軍事活動」とでも表現できるだろう。

「一連の~」というからには一定期間を対象とした言葉であって、いつからいつまでが明治維新なのかというテーマに対してはさまざまな学者、研究者が実にさまざまな解釈を主張している。

 開始時期についても、明治と改元された明治元(1868)年とする学者もいれば、黒船の来航からとする研究者に至るまでさまざまであり、終結時期に至っては廃藩置県(明治四・1871年)までとする主張があれば、西南の役(明治十・1877年)までとする説、立憲体制の確立までとする説などがあり、これに関しては定説というものは全く存在しない。

 いずれにしても、明治維新というものが特定の事件でも事変でもないとすれば、年号を暗記することが歴史の勉強だと思っている学生諸君には申し訳ないが、時期について幅があるのは当然であろう。

 枢要(すうよう)なことは、私たちが教えられ、現在も公教育が教える歴史観によれば、この明治維新が欧米列強による日本の植民地化を防ぎ、明治維新があってこそ日本は近代化への道を歩むことができたとされてきた点である。

 薩摩・長州藩士を中心とする「尊皇攘夷」派の「志士」たちが、幕府や「佐幕派」勢力の弾圧にも屈せず、「戊辰(ぼしん)戦争」で見事に勝利して討幕を成し遂げ、漸(ようや)く日本は「近代」の扉を開き、今日の繁栄があるとするのだ。

 そして、陋習な社会を支配してきた封建的な江戸幕府を倒し、近代日本の幕開けである「維新」を成し遂げた功労者が、長州の吉田松陰、桂小五郎(木戸孝允<たかよし>)、高杉晋作、山縣有朋(やまがたありとも)、伊藤博文、井上馨、薩摩の西郷隆盛、大久保利通、土佐の坂本龍馬、板垣退助、後藤象二郎、肥前の大隈重信、江藤新平たち、所謂(いわゆる)「薩長土肥」の下級武士たちであったとする。

美しい歴史観は史実ではない

 学者は、以上の一つひとつの単語や固有名詞についていろいろ異議を差し挟むだろうが、ここでは大意が必要であり、以上がこの百五十年弱、この社会に定着してきた明治維新のコンセプト部分であるとして、まず問題はない。

 誠に美しい歴史観であるが、私は、以上のほぼすべてを、既に否定している。

 この場合の否定とは、史実ではないという意味である。