この原稿が掲載される頃にはもう誰も話題にしていないことはほぼ確実だけど、タイガーマスク騒動について思うことを、今のうちに書いておきたい。

 2010年の12月25日、「伊達直人」を名乗る人物から群馬県中央児童相談所へ、ランドセル10個が送られた。これが騒動のきっかけだ。

 そもそもはこれが大手メディアで報道されるようなニュースバリューを持つことかどうか、まずはそこから考えなければいけない。他の日だったらニュースになどならなかったはずだ。だって全国レベルで考えれば、篤志家からの寄付などは毎日いくらでもある。名乗る人もいれば名乗らない人もいる。さらにタイガーマスクや伊達直人を名乗りながらの寄付行為は、決して珍しいことではない。阪神淡路大震災のときにもタイガーマスクを名乗る人から、被災者への寄付が相当数寄せられていた。

 でも今回は報道をきっかけに、日本全国の児童施設に寄付行為が相次いだ。誰かが「タイガーマスク運動」と命名し、寄贈品の届け先は児童施設以外にも老人保健施設や警察、大手スーパーなどに広がった。まるで燎原の火のように。

 もちろん、この現象の背景に働いている心情は善意だ。決して悪意などではない。批判されることではない。それはまず大前提として、でも何とも形容しがたい違和感があることも確かだ。

 急激に寄付行為が広がった要因として、ツイッターを含めてのネット社会の進展を挙げる人は多い。確かにその要素はあるだろう。でもひとつの要素だ。潤滑油でしかない。なぜならツイッターがまだ登場していない2002年から2003年にかけて、この国ではやはり同じような現象が起きている。

この過剰な善意の発動は薄気味悪い

 2002年8月7日、多摩川で目撃されたオスのアゴヒゲアザラシのニュースは、あっというまに社会現象となった。アゴヒゲアザラシはいつのまにかタマちゃんと命名され、その後もワイドショーやニュースなどで頻繁に取り上げられ、多くのキャラクター商品や豪華な写真集が発売され、さらには複数の「タマちゃん音頭」がリリースされ、「タマちゃん」はこの年の流行語大賞を受賞し、ついに横浜市は特別住民票をタマちゃんに交付した(正式名称が西玉夫であることを、多くの人はこのとき知った)。