昨年生産性が発行され、働き方改革の議論で注目されるようになった生産性について、著者の伊賀泰代氏が、マッキンゼーで同期入社だった現ヤフーCSOの安宅和人氏と対談。
マッキンゼーで生産性の概念を身につけた2人が、その問題の核心を語り合う。1回目は人工知能が生産性に与える影響について(構成・新田匡央、写真・鈴木愛子)。

人工知能ができること、できないこと

伊賀泰代(以下、伊賀):お久しぶりです。安宅さん、人工知能(AI)やビッグデータ絡みであちこちから引っ張りだこでしょ。いつもすごいなあと思いつつ、勉強させていただいてます。

安宅和人(以下、安宅):いえいえ、なんだか不思議な経緯でこうなっています(笑)。伊賀さんこそ、出す本がどれもベストセラーじゃないですか。お会いするのも久しぶりですが、こうやってじっくりお話しするのはもう何年ぶりかというくらい覚えていない。

伊賀泰代(いが・やすよ)
キャリア形成コンサルタント。兵庫県出身。一橋大学法学部を卒業後、日興證券引受本部(当時)を経て、カリフォルニア大学バークレー校ハース・スクール・オブ・ビジネスにてMBAを取得。1993年から2010年末までマッキンゼー・アンド・カンパニー、ジャパンにてコンサルタント、および、人材育成、採用マネージャーを務める。2011年に独立し、人材育成、組織運営に関わるコンサルティング業務に従事。著書に『採用基準』(2012年)『生産性』(2016年)(ともにダイヤモンド社)がある。
ウェブサイトhttp://igayasuyo.com/

伊賀:そうですね。とはいえマッキンゼー時代だってバカ話ばかりしてて、まじめに語り合ったことはあまりなかったかも。でも今日はマジメな話をしにきたので、どうぞよろしくお願いします(笑)。

 今回、『生産性』という本の中では、働き方の問題を「長時間労働の是正」といった時間の長短で捉えるのではなく、生産性の高低という軸で捉えるべきだと書きました。本質的な問題は労働時間が長いということではなく、生産性が低いまま放置されていることであり、長時間労働は問題の原因というよりその結果だからです。

 で、この生産性という話になると、これからはどうしてもAIが人間の働き方に与える影響について話が及びます。AI時代に入ると人の仕事が変わるという点について、まずは安宅さんのご意見を聞かせてください。

安宅:今は時代の変曲点であることは間違いないと思います。データがものすごい量で増え、コンピューティングパワーが上がり、データの可視化が急激に進化しています。機械学習の世界でも長年研究されてきたニューラルネットワーク、ディープラーニング(深層学習)がついに動くようになるなるなど、非常に面白い時期。これらによって、これまで自動化できなかったことが急速に自動化できるようになりつつあります。大量の情報の識別やタイムリーな予測、あるいは今まで教えられなかった暗黙知が、ゴールさえ与えれば学習できるようになりつつある。ピッキングもできるし、その延長で囲碁も打てる。これらの影響で業務の中身は確かに変わってきます。

 でも、逆に言えば、このようにちゃんと訓練された特定の目的以外は何もできない。そもそも問題解決の前に、AIはキカイに過ぎないので「生きている」からできること、自分は「どうしたい」という部分がないんです。

伊賀:たしかにそうですが、人間にもそれがない人はいるんじゃないですか? 自分がどう生きたいか、突き詰めて考えてきたことのない人・・・

安宅和人(あたか・かずと)
ヤフー株式会社チーフストラテジーオフィサー。データサイエンティスト協会理事。応用統計学会理事。東京大学大学院生物化学専攻にて修士課程修了後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。4年半の勤務後、イェール大学脳神経化学プログラムに入学。2001年春、学位取得(Ph.D.)取得。ポスドクを経て2001年末、マッキンゼー復帰に伴い帰国。マーケティング研究グループのアジア太平洋地域における中心メンバーとして、幅広い分野におけるブランド立て直し、商品・事業開発に関わる。2008年9月ヤフーへ移り、COO室長、事業戦略統括本部長を経て2012年7月より現職。事業戦略課題の解決、大型提携案件の推進に加え、市場インサイト部門、ヤフービッグデータレポート、ビッグデータ戦略などを担当。著書に『イシューからはじめよ』(英治出版)がある。

安宅:(笑)。いや、もっと根本的な観点なんです。人間には食べたいものと食べたくないものがあるけど、指示や評価指標を与えない状態ではAIにはこれが選べないんです。右に行く、左に行く、まっすぐ行く、止まる。人間は意識的であろうと無意識であろうと、これらを自分で決めている。大腸菌だってミミズだってそう。気持ちのいい空間と嫌な空間では、気持ちのいいほうに行く。生物とはそういうものです。

伊賀:ああなるほど。能力や意思の問題というより、生物としての本質の話ですね。

安宅:そう。そしてそれは、ニューロンの数とは関係なく、生命がもともと持っているものなんです。そのうえで、自分の生命にとって意味のある方向を右でもまっすぐでもなく、止まることでもなく、左に行きたいと判断する。

伊賀:ニューロンの数に関係ないとすると、生命体であればなんであれ、もともと遺伝子に持っているものだと?

安宅:僕らの場合は脳や脊髄を含む中枢神経系が判断を担っているけれど、このような中枢神経系といえるほどのものを持たない生物の場合は脳じゃない。生命は自分にとって快適なものを選ぶようにできているんです。生存本能の一種なんでしょう。そういう意思的な部分は、AIではまったく補完されないわけです。

伊賀:AIと人間の違いとして、身体性がないこと、だから死を怖れないというか、生存本能がないことなどとよく言われますが、意思的な部分も欠落してると。

安宅:そう。僕の認識では最もかけている部分は生きる個体としての身体がないことから来る意思で、次は知覚です。知覚について言えば、たとえば「色」。これは物理量ではない。色は心の中にしかないんです。単一波長ではなく3つの波長スペクトラムに反応する知覚神経から入ってきたものを、脳の回路がミックスアップしたものが「色感」として脳の中に存在している。食べ物のおいしい、まずいもそう。今まで日本料理しか食べたことがない人が初めて四川料理を食べても、はじめはよくわからないかもしれないけど、二口目には「おいしいね」と言える。これは既存の料理とその人間の知覚評価をベースに人間の知覚のホットスポットをモデリングしただけのキカイにはむずかしい。

伊賀:人間は過去のデータの蓄積がなくても知覚的に判断ができるってこと?

安宅:そうなんです、できるんです。ある日本人が過去の経験から持っている「味マップ」とは逸脱した、まったく異なる次元にあるものでも判断できるんです。その評価が、基本的に人間の身体がもたらしているものだからです。一方、身体のないAIには、それが人間のように知覚できない。すなわち人間のようには評価できないです。これは、人間と同様の知覚センサーを人と同じ密度で持っていない上、入力を人間のように統合できないということです。

伊賀:だとすると、人間はそういうAIに欠落してる部分を担当する仕事をすべしってことになるんですか?

安宅:うーん、それはそうなんだけれど、これはちょっと誤解を生むかも。そもそも、理想的な「AI」を体現しているものはない、というところから始めなければならないです。あえていうならば、AIは「イデア」です。人間や生命の知覚や知性の機能を部分的でも代替するようなキカイのことをAI(Artificial Intelligence。Machine Intelligenceとも)といいます。この本来の意味で言えば、本当は自動ドアだって判断してドアを開閉しているからAI。素材に合わせて洗い方を変える洗濯機もサーモスタットもAIです。今はコンピュータやソフトウェア、データの力でそれを実現しているものに閉じて語られがちですが。また、人間がおこなっている知覚と知性、これによる知的生産活動のほとんどを担えるようなAIは存在しておらず、生まれる見込みも立っていません。

伊賀:たしかに。すると今の私たちは、AIという万能感に溢れたフィクションを勝手に作り上げてて、存在しないものを念頭に「人間の仕事がなくなるかも?」という議論をしてると。そういう議論は乱暴すぎるってことですね。

安宅:そうそう。荒唐無稽な議論となります。もちろん、情報の識別や個別の事象の予測など人間より圧倒的に速く自動化できるようになったものは、どんどんキカイに任せるべき。それは絶対的な流れです。人間はいつの時代もそうしてきたし、人間が不得意なことをやらせるために数多くの道具やキカイが生み出されてきたんですから。

伊賀:産業革命期に蒸気機関車が作られた時からそれは変わらないのかも。そういう意味では現在進行形の変化も、ずっと昔から続く大きな流れのひとつだってことですね。とはいえ緩やかに変化する時期と、どーんと大きく変化する時がありますよね? エネルギー革命が起こった産業革命の初期はものすごく変化が大きかった。その「どーんと大きく変化する時期」が今また来てるってことでは?

安宅:たしかにそうです。産業革命では、200年ぐらいの時間をかけて、人間や家畜が担ってきた肉体労働と手作業を消し去った。いまでは、あえて手づくりをしているものや、細々と不定形の判断が必要な作業以外は、ほとんど何も肉体労働と手作業は残っていないですね。じゃあ僕たち人間は何をやっているかというと、かなりの時間を判断と情報処理に使っています。その部分の何割かさえも自動化できるようになってしまった。それが今起こっていることかと。

 でも、仕事の重要な部分のかなりは「対話」じゃないでしょうか。話の文脈を読んで、適切なタイミングで相手に正しく何かを投げかけること、それに対してコンテキストと次への意味合いも含めて答えることです。これが自動化される見込みは、今のところありません。まあ僕らにとって最も楽しいこともでもありますし。キカイに任せようとは思わないですよね。(笑)