波瀾万丈のベンチャー経営を描き尽くした真実の物語「再起動 リブート」。バブルに踊らされ、金融危機に翻弄され、資金繰り地獄を生き抜き、会社分割、事業譲渡、企業買収、追放、度重なる裁判、差し押さえ、自宅競売の危機を乗り越え、たどりついた境地とは何だったのか。
本連載では話題のノンフィクション『再起動 リブート』の中身を、先読み版として公開いたします。


運命の日──[1996年11月]

 ベンチャーキャピタル各社に提示した出資の回答期限日がついにやってきた。

 その日の朝、僕は社長室に入るなり電話の前で身構えていた。心のなかは緊張と不安で張り裂けそうだった。資金繰りがもはや限界に達していたからだ。10社のうち何社かが投資を決めて、億を超える資金を調達できなければ、フレックスファームに明日はないだろう。無理に無理を重ねて、この日まで粘ってきた。僕にできることは、もはや神に祈ることだけだった。

 最初の電話の呼び鈴がなった。僕の心臓は止まりそうになった。

「日興キャピタルの佐藤です。斉藤さん、投資の件ですが、本当にすみません。がんばったんですが、稟議が通りませんでした」

 第一声の衝撃に、受話器を持つ手の力が抜け、僕は気が遠くなるのを感じた。視界がかすみ、次第に狭くなってゆく。かろうじて気を取り直し、努めて明るく返事をするのが精一杯だった。

「そうですか。佐藤さん、わざわざご連絡いただき、ありがとうございます。まだまだがんばりますので、これに懲りず、これからもよろしくお願いします」

 最も可能性が高いと踏んでいた日興キャピタルの稟議が通らなかったのだ。他のベンチャーキャピタルから問い合わせがあったら、彼らの稟議が通らなかったことを隠すことはできない。青ざめていた僕に追い討ちをかけるかのように、次の連絡が入った。最大手のジャフコも不可という判断だった。

 理由はわかっていた。手元の財務状況が悪すぎたのだ。いかに有望な技術を持っているとはいえ、投資した分がそのまま返済に回ってしまうようなベンチャーに出資するのは困難だ。砂漠に水をまくようなものだからだ。それが彼らの判断だった。

 身のほどを超える重荷を背負った企業は、負債を軽くして再出発するべきだ。投資家はそう考える。たとえば、事業の受け皿となる新会社を設立し、そちらに事業を譲渡する。元の会社には借金だけを残して、新会社からの配当を分割して分配すれば、ベンチャーキャピタルも投資しやすい。だが、僕はこの会社の連帯保証人になっており、家族の住む土地と家が担保に入っていた。それにこのやり方では、フレックスファームの株主となっていた古くからの友人たちを裏切ることになる。何度すすめられても、僕はその選択肢に魅力を感じなかった。むしろ嫌悪感すら持っていた。

 それから2時間ほど待っただろうか。一縷の望みを捨てきれずにいた僕に、待ちに待った吉報が届いた。

「日本インベストメントファイナンスの渡辺です。社長、がんばりました!」

 役員に対する稟議で紛糾したが、最後には彼が「なんとかお願いします」と頭を下げて、役員も折れたということだった。僕という人間を信頼して稟議を通してくれたのだ。僕は渡辺さんの熱意に心から感謝した。同時に、彼に詳細を伝えていない会計情報を思い、不誠実な自分を深く恥じた。

 だが、それからはうれしい誤算の連続だった。朗報が相次いだのだ。彼らは僕たちの将来性を買ってくれた。結局、6社のベンチャーキャピタルが当社への投資を決め、新株引受権付社債を含めると、合計で1.5億円近い資金を調達することに成功した。新株引受権とは、今でいうストックオプションに当たるもので、会社が発行する新株を、この時点の価格で優先的に引き受けることができる権利のことだ。この契約によって、フレックスファームが成長しても、僕は安価に一定割合の株式を購入する権利を得たのだった。この時、株価は簿価の3倍、15万円と算定された。

 今でこそスタートアップ(新興企業)のエグジット(出口)戦略として定着したM&A(企業買収)だが、当時はまだ日本のM&A市場がきわめて小さかったため、彼らの投資に報いるためには、株式を上場することがはずせない目標となった。

 ベンチャーキャピタル用語に「リビングデッド」という言葉がある。上場もせず、倒産もしない困った投資先を表す業界の隠語だ。上場すれば大きな上場益を得られるし、倒産すれば投資は経費で落とせる。しかし、安定的で成長しない企業はそのどちらにもならず、投資が塩漬けになってしまう。それを避けるには、IPO(株式の新規公開)を目指して業績を拡大し続けるしかない。

 この資金調達のおかげで、フレックスファームの資金繰りは持ち直したのだ。危機を救ってくれた彼らに報いるために、なんとしても企業価値を高めなくてはいけない。僕は思いも新たに、拡大路線を突き進む決意を固めていた。