クスリの「空白領域」埋める使命感<br />ガンや血液領域に特化して新薬開発<br />シンバイオ製薬社長 吉田文紀シンバイオ製薬社長 吉田文紀
Photo by Toshiaki Usami

 2008年冬、吉田文紀は、資金難の苦しみから、自宅ベッドで奇妙な夢にうなされていた。大きな地球儀が浮かび上がり、グルグルと回り続ける。「この地球上で、誰が僕におカネを貸してくれるのか」という自らの声が頭をよぎる。

 吉田は05年に、ガンや血液、免疫疾患に特化した新薬をつくるシンバイオ製薬を設立した。しかし商品第1号になるはずの抗ガン剤の開発を進めている最中、リーマンショックによる世界同時不況の真っただ中に放り出された。臨床試験は進むも、会社の資金は底を突きかけており、優れた技術や能力を持ちながらも倒産する「死の谷」が迫っていた。

 新薬を世に送る前につぶれるわけにはいかない。世界50社以上のベンチャーキャピタルに足を運んだが、1円も貸してもらえなかった。「もうダメなのか」。吉田は、最後の望みをかけて、同じ新薬の開発をしていた有力バイオ医薬品メーカー・セファロン社がある米ペンシルベニア州に飛んだ。

「How much money do you need?(いくらカネが必要なんだ)」。初対面でいきなり「カネを貸してくれ」と切り出そうとする吉田に、同社会長のフランク・バルディーノは開口一番、そう言い放った。驚きつつも、すかさず「20億円です」と返答。過去に同じような資金難や「死の谷」に直面してきた先人が、自分のビジネスを有望だと評価してくれ、命綱となる15億円の資本を約束してくれた瞬間だった。08年12月10日。この日のことを、吉田は忘れることはないだろう。

「あの出会いがなかったら、この会社はありません」。吉田は昨年12月、ついに初商品の抗ガン剤「ベンダムスチン塩酸塩」(製品名トレアキシン、エーザイに販売権供与)の発売にこぎ着けた。血液ガンの一種、非ホジキンリンパ腫(難治性、再発性)などの治療薬で、患者数は4000人前後。今後は適応できる疾患を拡大し、年商200億円の商品に育てるつもりだ。

大手製薬が開発中断
“葬られる薬”の現実知りゼロからの起業

 吉田は学生時代にMIT(米マサチューセッツ工科大学)大学院で、遺伝子地図の研究にいそしむも、「自分は研究室にこもるタイプではない」と実感する。帰国後、三菱商事に就職したが2年目で退職すると、29歳で医療機器や試験薬を扱うバイオラッド社の日本法人社長になった。初めは女性事務員1人がいるだけ。社長と営業部長の二つの名刺を作って、カローラのバンで必死に営業回りを続けた。「数年後になって、雇い入れた部下たちが、自分の倍近い千数百万円の年収をもらっていることにふと気づいた」というほど、仕事に熱中したという。

 1993年に世界的なバイオ医薬品メーカー・アムジェンの日本法人社長(本社副社長)に就任。華々しいキャリアを築いたが、それを捨ててゼロから会社を興したのは、大手医薬品メーカーが見捨てて、世の中に出ない“葬られる薬”の現実を見てきたからだ。