小沢一郎民主党幹事長が、東京地検の事情聴取に応じたことにより、小沢氏をめぐる政治資金問題も一段落したようにも見える。だが、これもおそらく捜査の一過程に過ぎず、胸をなでおろすのは早計だろう。

 このところ、小沢問題に対する関心が深まり、鳩山由紀夫首相の献金問題が隅に押しやられた感があるが、これも一時的なものと思われる。

 なぜなら、たとえ両氏の問題が、これで法的に責任を問われなくなったとしても、両氏に対する“素朴な疑問”は残る。そして、この素朴な疑問が解消されない限り、鳩山首相、小沢幹事長、さらには民主党に対する信頼は決して回復しない。

“他人事”のような態度が
一層疑念を抱かせる

 私が感じる素朴な疑問は、多くの人が共通に抱いている疑問だろう。

(1)2人の説明が真実であるとしたら、予算編成の重要な時期に、なぜ早期に解決しなかったのか。

 自ら先頭に立って調査し、自ら要請して説明の場を設ける。それが当然だと思う。民主党にしても、党に調査委員会をつくって徹底的に調査をすればよかったのだ。

 そもそも「検察の調査を待つ」という姿勢は、他人事のようである。このような消極姿勢がわれわれの素朴な疑問を強めてきた。

 検察や報道に対する最も有効な批判は、何よりも自らの潔白を証明するための最大限の努力ではないか。もしも早期に自らの潔白を証明できれば、検察や報道は国民世論から袋叩きにされる。

 逆に、捜査を傍観する態度は疑惑を強めてしまうのだ。