橘玲の世界投資見聞録 2017年2月16日

トランプ大統領にも止められない、
アメリカの「雇用の喪失」と「富の二極化」の先にある未来
[橘玲の世界投資見聞録]

 このコラムでも何度か紹介したが、クリントン政権で労働長官を務めたリベラル派の経済学者ロバート・ライシュは、1991年に世界的ベストセラーとなった『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』で、21世紀のアメリカ人の仕事はクリエイティブクラスとマックジョブに二極化すると予言した。それから25年後、ドナルド・トランプが大統領に選出される前年に出版された『最後の資本主義』は、ライシュの勝利宣言であると同時に、敗北宣言でもある。

 勝利したのは経済学者としてのライシュで、敗北したのはリベラリストとしてのライシュだ。原著のタイトルは『Saving Capitalism』となっているが、そのうえでライシュは、「資本主義を救い出さなくてはならない」と述べる。これはどういう意味なのか、その主張を検討してみよう。

ブルーワーカーの仕事がなくなり、サービス業の賃金が下がった

『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』でライシュは、より正確には、将来のアメリカ人の仕事は(1)ルーティン・プロダクション(定型的生産)サービス、(2)インパースン(対人)サービス、(3)シンボリック・アナリティック(シンボル分析的)サービスに分かれると述べた。『最後の資本主義』では、四半世紀を過ぎた時点で自らの予言と現実が比較されている。

 ルーティン・プロダクション・サービスは工場労働などの「繰り返しの単純作業」で伝統的なブルーカラーの仕事だが、部下の仕事を繰り返し監視する仕事や、標準的な業務手順を遵守させる管理業務、定期的なデータ入力やデータ検索などのバックオフィスの仕事も含まれる。

 1990年当時、こうした仕事に従事するアメリカ人は被雇用者全体の25%程度だったが、テクノロジーの進歩とグローバル化(新興国の低賃金労働者への置き換え)によってその割合は着実に減少していくとライシュは予測した。

 2014年時点で当時と同じ方法で調べたところ、ルーティン・プロダクション・サービスに従事するアメリカ人の割合は20%以下まで減っているばかりか、物価調整後の賃金の中央値は15%も減少していた。

 インパースン・サービスは小売店の販売員、ホテルやレストランの従業員、介護施設の職員、不動産仲介業者、保育園のスタッフ、在宅医療従事者、フライトアテンダント、理学療法士、警備員など、「人間的な接触が欠かせないために人の手によってなされる仕事」だ。

 1990年時点でこうした仕事に就いているアメリカ人は約30%で、ライシュはその数が増加する一方、賃金は下がると予想した。かつてルーティン・プロダクション・サービスで働いていたひとたち(主にブルーワーカー)がインパースン・サービスでしか仕事を得られなくなり労働力の供給が増えることに加え、ATMやコンピュータ制御のレジ、自動洗車機、自動販売機、自動給油機など省力化のテクノロジーとも競争することになるからだ。

 2014年時点で「対人サービス」の仕事は米国全体の半分ちかくを占め、新たに創出された雇用の大半がこの職業区分に属していたが、その賃金の中央値は物価調整後の数字で1990年の水準を下回っていた。ライシュが予想できなかったのはテクノロジーの急速な進歩で、Amazonはドローンによる配達を計画し、Googleの自動運転車は450万人にのぼるタクシーやバス、トラックの運転手、清掃業従業員の雇用に深刻な脅威を与えている。

 シンボリック・アナリティック・サービスは「問題解決や問題発見、データ、言語、音声、映像表現などのシンボルを操作する戦略的媒体」にかかわる仕事で、エンジニア、投資銀行家、法律家、経営コンサルタント、システムアナリスト、広告・マーケティングの専門家、ジャーナリストや映画製作者、大学教授などが属する。これらの仕事の本質は、「数学的アルゴリズム、法的論議、金融技法、科学の法則、強力な言葉やフレーズ、視覚パターン、心理学的洞察をはじめ、思考パズルを解くためのテクニックなどのさまざまな分析ツールや創造のためのツールを用いて抽象的なシンボルを再構築」することだとライシュはいう。これを要約すれば、「知的でクリエイティブな仕事」のことだ。

 1990年、ライシュはシンボル分析の専門家が米国の被雇用者の20%を占めており、その割合も彼らの賃金も増えつづけると予想した。

 現実に起きたのは、ライシュの予想をはるかに上回る富の集中と格差の拡大だった。いまやアメリカでは、最富裕の上位400人が所有する富が下位50%の富の合計を上回り、上位1%が米国の個人資産の42%を所有している。

 下位50%の家計が所有する富の割合は1989年時点では3%だったが、2014年時点では1%まで下落した。1978年、上位0.01%の家計は総じて平均的家庭の220倍裕福だったが、それが2012年には1120倍に達している。物価調整後の数字で比較すると、フルタイムで働くひとびとの週当たり賃金の中央値は2000年以降下落しており、時給の平均も40年前より低くなった。

 このように、ライシュの予言はすべて的中した。これが「経済学者としての勝利宣言」だ。

アメリカでは高級住宅地と貧困地区で公教育格差がある

 待ち構える暗鬱な未来をそのまま放置することはできないものの、リベラリストであるライシュは「メキシコとの国境に壁をつくれ」とか「不法移民を追い返せ」とはいわない。――ただしライシュは、NAFTA=北米自由貿易協定やTPP=環太平洋戦略的経済連携協定には批判的だ。自由貿易は比較優位を交換するWIN-WINの関係ではなく、グローバル企業だけが得をし、貧しいひとたちが一方的に損をする理不尽な取引だからだという。

『ザ・ワーク・オブ・ネーションズ』でライシュが提示した処方箋は、大企業や高所得者から税を徴収し、それを原資に公教育を立て直すことだ。グローバル化とテクノロジーの進歩でブルーワーカーの仕事がなくなり、サービス業の賃金が下がるのるなら、先進国の労働者に残された道は「シンボリック・アナリティック・サービス」すなわちクリエイティブクラスの仲間入りをすることだけだからだ。

 だがライシュの期待に反して、アメリカでは低所得の子どもと高所得の子どもの学力差は拡大している。

 1985年当時、家計資産上位10%の家庭の子どもと下位10%の子どものSAT(大学進学適性試験)の平均点の差は800満点中90点だったが、2014年にはその差は125点に広がった。先進国の生徒の学習到達度調査(PISA)でも、参加63カ国中、所得別の数学力の差は米国がもっとも大きく、読解力では高所得世帯の子どもが低所得世帯の子どもを平均で110点上回った。

 世帯所得による子どもの学力差は、人種によるちがいよりも、裕福な地域と貧困地区の学校の財政状況の影響が大きい。これはアメリカの公教育に特殊な事情で、公立学校に投入される「公費」の割合は連邦予算が10%、州政府が平均して45%で、残りは学区の自治体が調達することになっている。その財源の多くは地方固定資産税、すなわち不動産資産への課税だ。

 これは日本など他の国とは大きく異なる制度だが、その結果、どういうことが起きるのだろうか。

 もう10年以上前のことだが、ハワイの住む知人が、小学校の学力比較表と不動産物件情報を真剣な表情で見比べていて不思議に思ったことがある。彼の話では、よい学校のある住宅地ほど物件価格が高く、安い物件のある地区は教育事情が悪い。そこでどの親も、マイホームの予算の範囲内でもっともいい学区に家を買おうと必死になるのだという。

 このようにアメリカでは、不動産価格と地域の学校の教育レベルが強い相関関係にある。これは、学校の評判がよくなれば不動産価格が上がり、評判が悪くなれば不動産価格も下がるということだ。そうなると高級住宅地に住む裕福なひとたちは、子どもによりよい教育環境を与えたいという親心とマイホームの価値を上げたいという経済的理由の、ふたつの強力なモチベーションによって地域の学校のために協力を惜しまなくなくなる。これが、たんに高い固定資産税を納めるだけでなく、バザーなどを積極的に開いて地域の学校の財源に充てようとする理由だ。

 この好循環は、子どもが学校を卒業しても終わらない。地域の教育環境をよくすることが不動産資産の価値を守るもっとも効果的な方法なのだから、富裕層は漫然と国や州に所得税を払うのではなく、税控除のできる寄付で地域の学校に立派な講堂や図書館、音楽ホールなどをつくったほうがいいと考えるだろう。このようにして、全米でもっとも地価の高いシリコンバレー周辺では、「公立」でありながら上流階級向けのどんな私立にもひけをとらない豪華な学校ができあがることになる。

 その一方で、地価の安い貧困地域ではこれと同じメカニズムが逆に働いて、教育環境はますます悪くなる。満足に固定資産税を徴収できない自治体は公教育に予算を割り振れないし、住民たちも、荒れ果てた学校のために努力するのは穴の開いたバケツに水を注ぐようなものだと考えるだろう。

 このようにアメリカにおいて、高級住宅地と貧困地区で子どもの学力差が拡大するのは制度的必然なのだ。

 公教育の歪んだ構造はライシュをはじめ多くの論者が指摘しているが、改善はきわめて困難だ。

 誰もが真っ先に考えるのは、固定資産税で自治体の教育予算を賄うのを止め、連邦政府や州政府が一括して税を徴収して公立学校に平等に分配することだろう。これによって地域の学力差は縮まるだろうが、それはすなわち、高所得者の子どもが通う学校の教育レベルが低下する=住宅価格が下落する、ということだ。いくら社会全体のためだと説得しても、このような改革(改悪)を強い政治的影響力を持つ富裕層・高所得者層が受け入れるはずはない。同様の理由で彼らは、貧困地区の子どもたちが学区を超えて入学することにも頑強に反対するだろう。

 左側通行を右側通行に変えられないのと同様に、特殊な制度やルールにもとづいていったん既得権層ができあがると、彼らが損失を被るような変更はほとんど不可能になる。こうした例は社会に溢れているが、アメリカの公教育の二極化もその典型なのだ。


橘玲の書籍&メルマガのご紹介
世の中(世界)はどんな仕組みで動いているのだろう。そのなかで私たちは、どのように自分や家族の人生を設計(デザイン)していけばいいのだろうか。
経済、社会から国際問題、自己啓発まで、様々な視点から「いまをいかに生きるか」を考えていきます。質問も随時受け付けます。
「世の中の仕組みと人生のデザイン」 詳しくは
こちら!
橘 玲の『世の中の仕組みと人生のデザイン』 『橘玲の中国私論』好評発売中!

バックナンバー

»関連記事一覧を見る

海外投資必勝マニュアル&本

海外投資のノウハウが凝縮! ここで紹介しているコンテンツ、書籍はすべて、ネットから購入が可能です。さらに「海外投資実践マニュアル」は「海外投資を楽しむ会」の会員になれば割引価格で購入可能です。

作家・橘玲がメルマガ配信を開始!
橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
橘玲×ZAiONLINE海外投資の歩き方
作家・橘玲がメルマガ配信を開始!
subcolumn下影

ページのトップに戻る

本WEBサイトに掲載している全ての記事およびデータについて、その情報源の正確性・確実性・適時性を保証したものではありません。本サイトの提供情報を利用することで被った被害について、当社および情報提供元は一切の責任を負いませ ん。万一、本サイトの提供情報の内容に誤りがあった場合でも、当社および情報提供元は一切責任を負いません。本サイトからアクセス可能な、第三者が運営するサイトのアドレスおよび掲載内容の正確性についても保証するものではなく、このような第三者サイトの利用による損害について、当社は一切責任を負いません。また、併せて下段の「プライバシーポリシー・著作権」もご確認ください。