ペーパーテストのみに起因する
日本の選抜テストの課題

久賀谷 イェール時代から斉藤さんの教育に対する問題意識については、いろいろとうかがっていましたが、いまはどんな問題があると思いますか?

斉藤 基本的には当時と変わりません。とにかく根っこは「大学入試」にあります。とくにペーパーテストの点数だけで合否を判断するようなこの仕組みですね。そこに問題があると思います。

久賀谷 たしかに、高校の授業の大部分は「大学入試の問題に答えられるだけの知識」を伝授するようにできているし、中学校や小学校の授業もそこから逆算されて設計されているようなところがありますね。

斉藤 そうなんです。だからこそ、まずは大学入試を変えないといけない。これにはかなり多くの人が気づきはじめています。

「25分単位」で考えると、子どもの集中力は持続する

久賀谷 そういう教育を受けて大学に入った人たちは、どういう課題にぶつかることになるんでしょうか?

斉藤 これがまさに集中力の話と関係してくると思いますね。たとえば、高校入試であれば1科目の学力テストがだいたい50分ほど、センター試験「英語」の筆記であれば80分などです。これに対して、社会に出てから、ビジネスの場面などでの問題解決となると、ある程度の時間的幅を持ちながらそれに打ち込んで思考していくことが求められます。

久賀谷 アカデミックな領域でもそうですよね?

斉藤 はい、たとえば博士論文を書こうとすれば、何年間もかけて1つのテーマに打ち込んで成果をまとめていく粘り強さが求められます。日本の入試対策のための学びは、実務や高度教育の場面に不可欠な「持続的に学ぶ姿勢」に反している状況なのです。情報を調べる、論理を組み立てるなどは、人間の営みには欠かせません。それなのに、覚えたことを50分で吐き出すだけの試験でよいのか……と思います。

久賀谷 「本当の意味での学力」、つまり、持続的に何かを学ぶ力を測定するのであれば、ペーパーテストによる選抜だけでなく、根気強く学ぶ力や集中力、リーダーシップなども欠かせないですよね。実際、アメリカの大学の入試では、ボランティアをしたり、何かのリーダーになったりした経験も重視されている。

斉藤 まさにそのとおりです。日本がそうならないのは、選抜が面倒だからでしょう。ペーパーテストなら誰でも簡単に合否がつけられる。最近ネットで秀逸な書き込みを見かけました。日本の入試は、「サッカー選手を選抜しているはずなのに、面倒臭いから100メートル走のタイムを競わせているような状況」だというのです。その結果、足だけ速い選手が「優秀なサッカー選手」として世の中に送り出され、サッカー選手になりたい子どもは短距離走の練習だけしている――そんな歪んだ状態が生まれているわけです。

久賀谷 相変わらず斉藤さんは、教育の話をするとき、本当に楽しそうですよね。夢中になれることを仕事にされたのだなあと改めて思いました。

斉藤 楽しいことが一番集中できることですからね!楽しいことを学ぶ、楽しいことを仕事にするということは何よりも大事だと思います。

久賀谷 集中できることがあるからこそ、脳をしっかり休めるべきタイミングも見えてくる。明確なビジョンを持っているアメリカの経営者が、マインドフルネスに傾倒する理由も、そのあたりにあるのかもしれませんね。久しぶりにお話できてうれしかったです。今日は、ありがとうございました!

斉藤 こちらこそ、ありがとうございました!

「25分単位」で考えると、子どもの集中力は持続する

(対談おわり)