隆嗣は、立芳の顔を覗き込んで言葉を続けた。

「蘇州と杭州は美人が多いことでも有名だって聞いたけど、本当だね」

 立芳は一瞬戸惑ったあとで首をすくめ、悪戯っぽく指先で隆嗣の胸を小突いた。

「あなたは真面目な留学生さんだと思っていたのに、そんな冗談も教室で習ったの?」

 咎めるような言葉だが、その口調に不快さは感じられない。

 小高い丘の脇を抜けて広場のような空間に出ると、そこには重そうな黒い綿の外套を着た老人が、ペンキの剥げた保冷ボックスの脇に座って飲み物を売っていた。隆嗣は近付いて箱の中を覗き込み、可口可楽(コカ・コーラ)の缶を2つ取り出した。

「幾ら?」

「ふたつで4元だ」

 外匯銭の中国元で支払うと、老人はニンマリとして「謝謝」と頭を下げる。保冷ボックスの効用は定かでないが、冬の寒気のお蔭で十分冷えていた。

「喉が乾いたから一緒に飲もうよ……ちょっと寒いかな」

 コーラの一つを立芳に差し出すと、彼女は手を振って拒もうとする。

「いいえ、こんな高いものを貰う訳にはいきません」

 そう、街中の屋台ならば1元もあれば肉麺に餃子の10個も食べることが出来る。舶来品(実際には中国で生産しているが)のコカ・コーラなんて、学生が気軽に口に出来ない、いや、してはならない贅沢品なのだ。

 今まで隆嗣に近づいてきた中国人たちは、外国人が持つ外匯銭(外貨両替可能な外国人向けに限定発行されていた兌換中国元)や、日本人と付き合うことで得られる何らかのメリットを期待していることが見え隠れする者たちばかりであった。そんなことからも、隆嗣は新鮮な感情を立芳に対して抱いた。

「もし嫌いだったら申し訳ないけど、よかったら付き合って飲んでください」

 隆嗣は強引にコーラの缶を立芳に握らせた。

「わかりました」

 無理に拒絶するのも見苦しいと悟ったのか、彼女は両手で受け取った。