(1988年4月、上海)

 そんな二人の間に、祝平が割り込んできた。

「伊藤さん、見てください」

 祝平の視線の先には、間口一間ほどの小さな衣類店があった。やや太り気味の中年女性が、最近若者に流行りだしたジーンズを手に店先で大声を上げている。

「新着もんだよ。安いよ、安いよ」

 祝平の意図を掴みかねて隆嗣が問い返す。

「あのおばちゃんが、何か?」

「経済開放で許可されるようになった個人商店では、あのように一生懸命商売に精を出しています。しかし、先ほどの国営デパートの店員も御覧になったでしょう?」

 隆嗣は、彼が言いたいことに察しをつけて応じた。

「人間というのは、本当に単純なものですね。努力の有無にかかわらず、給料も生活も変わらなければ人は怠ける。努力が自分に返ってくると判れば、一生懸命になる」

「そうですね、おっしゃる通りだ。今の上海は、いや中国は、共産主義から資本主義への転換期に当たる、壮大な実験場と言えるでしょう」

 青白いインテリに見えていた祝平が強い語気で話すのを、隆嗣は奇妙な違和感を抱きながら見守った。

「祝平、変なことを言って隆嗣を混乱させないでよ」

 立芳が口を挟むが、彼は動じない。

「しかし、この実験も、共産党と言う名の皇帝が行っているに過ぎない。この店の人たちも、さっきの国営デパートの店員も、掌の上で踊らされているだけ。決して自分自身で選んだ社会じゃないんです」

 隆嗣は、『共産党と言う名の皇帝』というセリフに引っ掛かった。かつて立芳が同じことを言っていたのを思い出したのだ。無遠慮に尋ねることにした。

「祝平さん、あなたは共産主義に反対なんですか?」