前代未聞の断水4ヵ月
長期間の我慢を強いられた理由

「問題は徐々に浮き彫りになってくるでしょう」と語るのは、南三陸ホテル観洋の女将・阿部憲子さんだ。

南三陸ホテル観洋の女将・阿部憲子さん

 これまで阿部さんは、避難者の保護と地域の復興のため、まさに獅子奮迅の働きをしてきた。震災直後には、館内にいた宿泊客と避難者350名を高台の駐車場に誘導して難を逃れさせ、自らの家族の安否もわからないなか、宿泊客、従業員、地域の避難者のための炊き出し等を優先して行ったのだ。

 高台の強固な岩盤の上に建つホテルは、激しい揺れにビクともしなかったが、海面に近いフロアーは津波で破壊され、電気も水もストップした。橋も道路も寸断され陸の孤島となりながら、難を逃れた部屋にその日から町の避難者や、従業員の家族も含め、6ヵ月間にわたって600名を受け入れた。

 息もつかせぬ行動力。その責任感の強さと判断力には、ただただ頭が下がる思いだ。そんな阿部さんが感じている問題の核心は「地域格差」なのだという。

「どういうわけか南三陸では、助けを必要とする人と、助けてあげたい人が、なかなか繋がることができませんでした。他の地域とはだいぶ開きがあったと思います」

 自治体も政治家も機能不全に陥った実例を振り返る言葉に、しばし耳を傾けた。

「当地では、水道が復旧するまで4ヵ月かかりました。給水車のお陰で必要な水の3分の1は確保できましたが、お風呂は週2回、お手洗いはできるだけ外の仮設を使ってもらうしかありませんでした。自分たちでできることは、すべてやったつもりです。雨水は大事な掃除水ですから、雨が降ったら、バケツも桶も外に出したし、川で洗濯もしました。まるで発展途上国ですよね。

 インターネットが使えるようになった5月、ネットを検索した社員が「女将さん、海水を真水に変える装置があるそうです」と教えてくれました。さっそく人を介してメーカーさんにお願いしたのですが、返事はなかなか来ません。

 5月の末になって新聞に「川で洗濯をしている」と報道されたお陰で、ようやく連絡が取れて、ここまで足を運んでくれました。

 当時はハエが大量発生して、外にいると顔にハエがたかって困りました。当ホテルはそれほどではありませんでしたが、場所によっては白い家の壁が真っ黒になるほどハエが大量発生し、地域全体が劣悪な環境になっていたのです。でも、メーカーの方は最初「(ホテル観洋は)民間企業なので、協力できない」と言いました。当時、宮城県内被災地の水道の復旧率は94%だったのに、南三陸町はわずか1.24%だったんですよ。だから、観洋でなくてもいい。町内のどこかに設置してくださいと頼みました。

 すると今度は『誰が責任を取るんですか』と言われました。

 状況はもうぎりぎりでした。『感染病になったらどうしよう、食中毒を発生させたらおしまいです』と必死にお願いしましたら、『では、ここは(民間企業ではなく)避難所です、ということで上司に掛け合ってみます』と動いてくれて、やっと、東京の2つの企業から装置を提供してもらうことができました。6月の末にようやく、毎日お風呂に入れるようになったのです」