4月半ば、首都圏の町工場は“余震”に煽られていた。「あいにく、社長は外出中で…」、筆者が掛ける電話口ではそんな応対が相次いだ。震災の影響等で、製品の原材料などの入荷状況に目処が立たず、どこの社長も客先への対応で東奔西走。いわゆるサプライチェーンが寸断されて大混乱と言った様子が伝わってくる。

 同時に、水面下では中国シフトが始まっている。2010年から本格化した第4次中国進出ブームも、3月11日以降、その動きをピタリと止めた。が、震災から1ヵ月を経て見えてきたのは、むしろその加速である。

 この震災でどの町工場も教訓としたのは、部品調達を国内に過度に依存していたということだった。「社長は今、上海出張中で…」、埼玉県のスプリングメーカーからはそんな応対もあった。電話に出たのは専務である妻、社長である夫は最近中国に設けた拠点に張り付いているという。

 地震直後の14日、上海の地元紙が日本のメディアに先んじて報道したのは、基幹部品のサプライチェーンの寸断だった。例えば、フォックスコン(世界最大のEMS企業)でも、日本から落ちてきた多機能型携帯電話の生産受注を奪い取ろうと鵜の目鷹の目、中国企業の全体が特需にあやかろうと受注の奪い合いを展開している。

「モタモタしていたら中国に仕事を持って行かれてしまう」と、町工場経営者の多くが漠とした不安感を抱くようになった。

町工場にとって
中国はまだまだ遠い国だった

 これまで日本の製造業界、とくにその裾野を支える町工場では、中国シフトをめぐり感情論も存在した。「中国でモノなんか作れるわけがないじゃないか」と、たいがいの経営者は中国アレルギーを示していた。日本の製造業は「中国に出尽くした」と言われて久しいが、町工場にとって中国はまだまだ遠い国だったのだ。

 ところが震災を経て、町工場の経営者がその見方を変え、海外生産を意識するようになったのだ。