ボックスに戻ったお春ママが、隆嗣が勘定を済ませて先に帰ったと告げると、幸一と慶子はバツの悪い顔となったが、「気にしないで、あの人の気まぐれはいつものことよ」と言って慰め、帰ろうとしたふたりを引き止めた。

 結局、お春ママが付きっきりで相手をし、店がはねるまで居座ることとなってしまい、二人だけで夜宵に行くはずだった約束もうやむやになっていた。

 幸一が、最近中国で流行っているポップスや映画のことを店の小姐からレクチャーしてもらっている間、向かいのソファに座る慶子は、家出姉弟とホームレスへの施しで対立した幸一と隆嗣の顛末を、かいつまんでお春ママへ話していた。

「そんなことがあったんですか……。判った、それであんなことを言っていたのね」

 お春ママが上手な日本語で答える。

「あんなことって?」

「さっき隆嗣……伊藤さんが帰り際に、『あいつをよろしく頼む』と私に言ったのよ……。幸一さんのことを気にしていたのね」

「へえ」意外そうな顔を見せた慶子は、女性同士の気安さで尋ねた。

「お春さんは、伊藤さんとのお付き合いは長いんですか?」

「そうねえ、初めて会ってから、もう18年になるわ」

「え、だってお春さんは、まだそんなお歳じゃないでしょう……?」

 慶子が相手の顔を探るように見直した。

「うふふ、初めて会ったのは、私がまだ高校生になったばかりの頃よ」

 そう言って、お春ママは懐かしむ顔で言葉を途切らせた。あまり詮索するのは控えておこうと思ったが、慶子は一つだけ質問をした。

「伊藤さんて、どんな方なんですか?」

 お春ママは、物憂げな表情で静かに答えた。

「不器用で……そして一途な人」

(つづく)