「ウィキッド・プロブレム」は
先進国のビジネス領域にも存在する

 社会が複雑化するに伴い、どのような領域においても、1つのシンプルな問題に1つの解を出し、その実現に向けてまい進すれば良いという時代ではなくなっている。多くの問題はさまざまな状況や関係者が複雑に絡み合い、何かを解決すれば別の問題が起きたり、そもそも何が問題の正体であるのかを見極められなかったり、立場によって何を解決と見なすかが異なったりする。

 イノベーション研究の世界ではこうした問題は「ウィキッド・プロブレム(厄介な問題)」と呼ばれている。しかし、ソーシャル領域だけでなく、成熟した経済基盤を持つ先進国のビジネスにも同様に、ウィキッド・プロブレムが存在する。

 自動車業界では、すでに多くの人が自動車を所有し、若い世代が自動車の所有に興味を持たなくなっているが、この国でどうやって自動車を売っていくのか。ネット通販利用率が上がり、本来ならば運送業界には大きな収益がもたらされるはずなのに、現実には人手不足ばかりが深刻化していく状況をどう乗り越えていくかといった問題である。

 ソーシャル領域であれば、引きこもりの若者の生活保護問題には、出身世帯の経済的脆弱性、地域の教育の劣化、コミュニティの弱体化など幾つもの問題が複合的に影響を及ぼし合っていて、1つずつ解決すれば全てがいつか解決するというような問題ではない。

 このようなウィキッド・プロブレムの解決に必要なのは、これまでの思考の枠にはまらず、問題そのものを変質させることをちゅうちょしない解決、つまりイノベーションだ。

 SIBは特にイノベーションを目的に開発された仕組みではないが、成果に注目し、プロセスは縛らないブラックボックス・アプローチを活用する場合にはイノベーションを誘発しやすい環境をつくり出しているといえるだろう。

 SIB発祥の地ロンドンでは、SIBの枠組みによってあるNPO(民間非営利団体)がホームレスへの就労支援事業において小さなイノベーションをもたらした。

 ホームレスの就業支援といえば、シェルター(緊急一時宿泊施設)で行うのが一般的だが、ホームレスの人々はシェルターよりも路上の方が気楽に過ごせるため、食事や暖を取ると翌日には路上に戻ってしまうことが多い。しかしそれでは就労トレーニングができない。

 そこで、シェルターに個室を作り、各部屋にテレビを設置してみた。「就労支援でテレビと個室?」と思われるかもしれない。実際、行政が造るシェルターでは個室やテレビのようなぜいたく品はとうてい許されない。

 しかし、やってみるとホームレスの人々はこの居心地の良いシェルターにとどまるようになった。すると、NPOの職員が彼らにトレーニングへの参加を働き掛けるチャンスが増え、参加率を上げることができたのである。結果、800人を超えるホームレスにコンタクトし、シェルターへの入居者数、就労者数などの指標で当初想定を上回る成果を達成しているという。その他の指標で未達となっているものもあるが、全体としては成果目標をクリアして投資家への資金償還も行われた。

 尼崎市で行われた若者の就労支援とも通じるが、就労トレーニングを行う、就職活動を促すというプロセスを定石通りに行うのではなく、「どうしたら彼らが動くか」という出口から出発して型にはまらない方法を取ったことが、こうした成果を生み出したのだ。