温顔を絶やさぬ岩本会長に向かって、幸一は頭を下げた。

「私の力不足のために、こんなにも早く中国から撤退することになってしまいまして、申し訳ございません」

「いやいや、君にも色々と苦労をかけてしまったようだねえ……。それで、君は伊藤君の誘いを受けるのかね?」

 箸を進めながら岩本会長が淡々とした口振りで尋ねてきたので、幸一は驚いた。まだ岩本社長にも話していないことを知っていたのだ。

「ご存知だったんですか?」

「ああ、伊藤君から電話をもらった。是非君を譲って欲しいとね。彼は、かなり君を気に入っているようだね。もちろん私は、君の気持ち次第だと答えておいた」

 幸一は幕の内弁当の上で箸を泳がせながら黙って聞いていた。

「君が、我が社へ遠慮して決めかねているのだとしたら、そんな気遣いは無用だよ。君自身は、中国で仕事を続けたいんだろう?」

「実は、まだ迷っています」

 幸一がようやく口を開いた。

「何に迷っているんだい?」

「私は、伊藤さんという方を、今ひとつ理解しかねているんです……」

 幸一の箸は遅々として進まないままであったが、相変わらず健啖家の岩本会長は、先に弁当を食べ終えて茶を啜っている。

「そうだねえ、君から見たら、判り難い人物かもしれないね。彼がずっと上海に居座り続けている理由を知っているかね?」

「お春さんから聞きました、行方不明になった彼女のお姉さんを捜しているそうですね」

 岩本会長は腕組みをして目を閉じ、昔を懐かしむ顔となった。

「君には話しても構わないだろう。私が初めて伊藤君と出会った時のことを。あれはそう、もう18年も前のことになるんだねえ……」

 緩やかな口調で話し始める。