『週刊ダイヤモンド』4月1日号の第一特集は「美術とおカネ アートの裏側全部見せます。」。特集では、お金の流れから作家の生活、歴史から鑑賞術まで全てを網羅した。ここでは、アートが好きな経営者や学者、画家や写真家など特集で取材した“美の達人”たちのインタビューをお届けしたい。今回は、シャネル日本法人社長・リシャール・コラス氏だ。(『週刊ダイヤモンド』編集部 竹田幸平)

シャネルが挑戦する「アート」と「ポルノ」の線引き1953年生まれ、フランス・オード地方出身。75年にパリ大学東洋語学部卒業後、2年間在日フランス大使館に勤務。79年ジバンシィ入社、81年ジバンシィ日本法人社長。85年シャネルの香水・化粧品本部長として入社、95年より現職。日本に約40年住み、日仏で小説を出版するなど著書多数 ©Lucille Reyboz

――2004年にシャネル銀座ビルディングがオープンしましたが、そこに若手芸術家の演奏会や写真展を開く「シャネル・ネクサス・ホール」(シャネル銀座ビルディング4階)を設置した背景をお聞かせください。

 せっかくお客さまが足を運んでくださるなら買い物のほかに、知的好奇心も満たすことができたらよい。店舗となるビルを設計する際、そう思いました。そこでブティックの上階に、文化的なイベントができるスペースをつくることを決めました。その決断の背景には、創業者であるガブリエル・シャネルの生き方がありました。彼女自身、アートにとても深い興味を持っていたからです。

 ガブリエル・シャネルは生前、アートの「ピグマリオン」と言われていました。「ピグマリオン」とは、ギリシャ神話の登場人物が語源で、「才能を信じ、支援して開花させる人」を表す言葉のことです。

 そのシャネルの精神を示す取り組みとして、私は2つの芸術プログラムを考えました。一つは音楽です。シャネルは音楽に強い興味を持っており、ストラヴィンスキーが世の中に出たのも彼女のおかげなのです。20世紀前半にストラヴィンスキーが家族とロシア革命でパリに逃れた際は、子どももいるのにお金がなくて困り果てました。シャネルは彼が音楽で生きていけるように邸宅を提供し、作曲するようお願いして「春の祭典」の上演に至りました。この公演は当初、かなりのスキャンダルと言われましたが、彼女の応援もあって、今ではストラヴィンスキーが世界的な音楽家として知られるようになりました。