法律には存在する目的があり
それは第1条に書いてある

 目的を意識するようになると、無駄な会議というものは自然と行われなくなります。主宰者ばかりでなく、まず、参加者全員が、何を目的とする会議なのか共有しておこうとするからです。

 冒頭の「大人の贅沢フルーツ牛乳」の会議でも、その目的が「購買層の広がりについて確認する会議」なのか、「購買層の広がりを踏まえて販売続行につき話し合う会議」なのか、「販売続行を前提に、販売先や商品のパッケージなどを検討する会議」なのかで使用されるデータも話し合われる内容も大きく異なります。この会議では、そらがなかったために参加者がバラバラな趣旨で発言した様子が伺えます。これでは何の意味もありません。特に会議の主宰者は、会議の目的に照らして、それぞれの参加者から発言を求め、発言の意味を確認する必要があります。

「大人の贅沢フルーツ牛乳はおいしいけれど、コンビニに行けば、もっとおいしい飲み物はたくさんあります」(企画宣伝部20代女性社員)
「コスト的にはほとんど儲けがないのですよ、この商品。ライン自体は普通のフルーツ牛乳のものを使えるのですが、原料が特別なものなのでコストがかかります」(製造部社員)

 こんな発言が参加者からあったとしたらどうでしょう。「購買層の広がりを踏まえて販売続行につき話し合う会議」なら、「少し販売続行は無理かな…」という意見として捉えることができるかもしれません。しかし、「販売続行を前提に、販売先や商品のパッケージなどを検討する会議」なら、また、違った意味を持つはずです。コンビニ販売までの全面展開ではなく、スポーツジムや会社の自販機など女性が購入してくれそうな場所を中心にして売るということがあるかもしれません。コスト面から儲けが少なくとも、「これまで手薄だった若い女性に会社を知ってもらえればいい」という判断もあることでしょう。また、製造部社員の発言から、製造設備自体を新たにする必要がないことも明らかになりました。いずれしても、会議の目的が明確にされないと、発言の意味を探ることもできなければ、方向性や結論を導くこともできないわけです。

 目的を意識するということをお話ししましたが、「手段と目的とを区別する」ことも意識したいものです。たとえば、「20代、30代の女性に会社をもっと知ってもらう」ということが目的でしたら、「大人の贅沢フルーツ牛乳」が、ただ、たくさん売れても目的を達したとは判断できません。売れて、多くの人が会社を知るようになったという調査結果があってはじめて、その目的が達成されたことになります。さらにいえば、20代、30代の女性の認知度が上がったとしても、それだけでは意味がありません。究極の目的としては、その人たちを取り込んで、いろいろな商品を買ってもらうことが必要です。これについては別に作戦を練る必要があります。「大人の贅沢フルーツ牛乳」の販売は、そうした戦略の入口と位置付けることができます。法律を学ぶことで得られるリーガルマインドはそうした整理の感覚を養ってくれます。

 議員提案であろうと、政府提案であろうと、法律案を提出するときには、その背景に法律を必要とする事件や事実があります。そして、その法律に規定する手段はそうした事件などを解決するものでなければなりません。こうした事件や事実のことを「立法事実」といいます。
「売上げ」などの指標がないだけに、法律の場合には、結果オーライとはいいにくい面があります。立法事実と手段との間には、高い合理性が求められます。「法律を定めるまでのことはないのでは?」、「法律を定めるにしても、もっと緩やかな措置で目的を実現できるのではないの?」、国会はもとより、国民からも厳しい目が向けられます。だからこそ、提案者は立法事実に関するたくさんのデータを集めるのです。そして、そうしたデータのなかから、法律の内容を支えるものを選び出します。

 たとえば、法律で、火曜日の夕食には必ず「餃子」を食べるよう義務付けたとします(もちろんフィクションです)。その場合には、餃子が食品としていかに優れているかのデータで示します。「肉、炭水化物、野菜がバランスよくとれる」、「食費が安くすむ」などのデータがよいでしょう。一方では、「口臭が気になる」という批判もあるかもしれません。しかし、翌朝には口臭のほとんどが消えるというデータを示すことができれば、かえって「餃子」への支持が増します。あえて批判を受け入れて、それに対する反論をすることも、データが揃えば効果的です。