普通のビジネス感覚で、取引先の企業を例に挙げて考えてみよう。4年で社長が4人も変わるような企業と私たちは取引を継続するだろうか。よくて模様眺めがせいぜいであり、ほとんどの企業はあきれて直ちに取引をストップするに違いない。およそビジネスの世界ではあり得ないような異常事態を、この国は続けている。

 首相個人に、世界観や歴史観、大局的な戦略眼等を求める以前の問題として、このような異常事態を続けていれば、この国が世界の国々から早晩相手にされなくなるのは必定である。個人の能力や資質を問うことも重要だが、このような政治リーダーを産み出すこの国の「構造的な仕組み(歪み)」にこそメスを入れなければ、問題は永遠に解決しないのではないか。

歪な構造を生み出した諸悪の根源は、
一票の格差ではないか

 では、このような政治リーダーを次々と産み出してきたこの国の「構造的な歪み」とは何か。突き詰めて考えると、一票の格差こそが諸悪の根源だと思えてならない。昨年に行われた参議院選挙では、69万票以上を獲得したにもかかわらず落選した候補者もいれば、14万票に満たない得票で当選した候補者もいた。1票の格差は実に5倍を超える。これは、常識的に考えれば極めて不公平であって、要は、選挙区の作り方如何によって(もっと平たく言えば住所によって)、市民の投票権が0.2票ぐらいにしか評価されないケースが現実に生じているということである。

 ちなみに、2009年に行われた衆議院選挙で、1票の格差が最大2.30倍となった小選挙区の区割りは投票価値の平等を保証した憲法に反するとして、各地の有権者が選挙のやり直しを求めた訴訟では、今年の3月に、最高裁が「違憲状態」とする最終判決を出している。最高裁が動いた以上、選挙制度の見直しは必至と思われるが、これまで長い間、このような1票の格差が放置され続けてきたことが、この国の政治にどのような影響を与えてきたのだろうか。

 問題を単純化して考えてみよう。1票の格差が存在するということは、地方の有力者が政治リーダーに選ばれやすいということとほぼ同義である。そして、地方の有力者は、年配の男性である場合が多い。つまり、1票の格差のおかげで、地方の有力者である年配の男性がこの国の政治を牛耳ってきた訳である。