筆者は、以前のこの連載で、この国の構造的な課題は、「少子高齢化」、「財政の悪化」、「国際競争力の低下」の3点に尽きると指摘した。そして、これらの諸課題と、地方の有力者である年配の男性が政治リーダーであることには、実はかなり密接な関係があると考えられるのである。

1票の格差が、少子高齢化、財政の悪化、
国際競争力の低下に拍車をかけた

 まず「少子高齢化」であるが、地方の有力者は、大家族で暮らしている場合が比較的多いと考えられる。そのような生活環境では、都会で若い女性が働きながら子どもを育てることがどれほど大変であるかということが、あまり実感できないのではないか。要するに、都会での子育ての実態がよく分からないと想像されるのである。そして、人間は、分からないことには、およそ対策が打てない動物でもある。この国の少子化対策予算が対GDP比で常に先進国の中では最低水準であるのは、背後にこのような事情が働いているからではないだろうか。

 また、大家族で生活していれば、ともすれば高齢者の面倒は家族で看るという発想に傾きやすい。高齢者の面倒は社会全体で看るという近代市民社会の普遍的な価値観についつい背を向けたくなるのではないか。

「財政の悪化」については、2つのポイントが重要である。まず、一般論として、若い世代のリーダーほど国債の増発(借金)に敏感であることが世界共通の傾向として指摘できる。なぜなら、若いリーダーは、(借金の)返済時期にも自分が国のリーダーの地位に留まっていることを自然と想起するからである。英国のキャメロン首相の財政再建にかける意気込みは、このように考えると理解しやすい。英国では、戦後の首相は平均10年程度は政権を担っているが、キャメロン首相は昨年就任したばかりであり、まだ44歳である。

 次に、戦後の地方経済は、公共事業で潤ってきたという事情がある。公共事業の財源は往々にして建設国債であった。したがって、不況時には景気対策として国債を増発し、公共事業等を盛んにすることによって景気を刺激すべきだという政策に、地方出身のリーダーは馴染みやすい。このように考えてみると、地方の有力者である年配の男性が、ともすれば、財政規律に甘くなりがちな傾向を持つことがよく理解できよう。

「国際競争力の低下」についても同様である。戦後の高度成長経済を地方で支えた公共事業は、同時に談合の温床でもあった。談合と競争が、対極にある概念であることは言うまでもない。また、地方の有力者は、農協を集票マシーンとしている場合が多い。ということは、自由貿易に対して頑なな態度をとりやすいということを意味するのではないか。さらに、地方は、一般論としてではあるが、地縁・血縁関係が濃厚で、外部に対してはともすれば閉鎖的になりやすいという特徴を持っている。

 このようなバックグラウンドを持つ地方の有力者である年配の男性が政治リーダーになれば、グローバルな問題よりも国内の問題に注力しがちになることは、ある意味、当然ではないだろうか。