先日、北京から送られてきたあるメールマガジンを読んで、驚きを覚えた。メールマガジンの発行者は、以前日本の通信社に勤めていた中国人記者Wさんで、現在は中国に帰って北京にある政府系の日本語メディアで働いている。メルマガの記事は、日本で長年留学と生活した体験をもつ彼ならではの視点があり、読み応えがある。

 海外での留学・就職を経て、中国に帰った人は中国で「海帰」と呼ばれる。「海外からの帰国者」という言葉の略である。一時、その「海帰」たちを「海亀派」と呼ぶ傾向もあった。中国語では、「海帰」と「海亀」との発音が同じなため、言葉遊びでそうなったのである。

 一方、中国国内育ちの人材は「土豆派」と呼ばれていた。「土豆」とはジャガイモを指す語である。十年ほど前の言語現象であるが、泥臭い「土豆派」という呼び方からも、海外での生活体験や就職体験が必要以上に評価されていた当時の中国の社会事情が読みとれる。

 「海帰」した中国人が多数いる今は、「海帰」と言っても、当時ほどはちやほやされなくなり、人物と実力次第の評価になりつつある。いつの間にか、海外帰りの人材と中国国内育ちの人材を区別して呼ぶ「海帰派」と「土豆派」という表現は消えた。今は海外帰りの人間を指す「海帰」だけまだ使われている。場合によっては、その呼び方は、ややバタ臭く、中国の事情に疎いというマイナスの響きさえもっている。

 とは言っても、海外での生活体験や就職体験をもつことは、就職難の中国ではやはり大きなプラス材料である。Wさんの場合も同じだと思う。しかも、日本に長年暮らしてきたその経験が、彼の記事を味のあるものにしていると私は評価している。

 ところが、今回のメルマガは、なんと日本での生活経験を「マイナス財産」と主張しているものだった。

 たとえば、中国に帰ったニュー「海帰」のWさんに対し、先輩「海帰」で10年前に北京に戻った早稲田大学大学院卒の中国人弁護士Nさんは、「中国に戻ったならなるべく日本とかかわらないほうがいいですよ」と忠告したという。

 17歳から東京で青春を送り、10年間の日本滞在で身振りや話し方にも日本生活の名残を強く感じさせるNさんを見て、Wさんは思わずなぜですか、と疑問をぶつけた。