アラブ 2017年5月2日

教えて! 尚子先生
「アラブの春」のその後はどうなっているのですか?【後編】【中東・イスラム初級講座・第41回】

エジプト・コプト教会の爆破など、アラブ諸国の混乱は落ち着くどころか、ますます混迷を深めています。「アラブの春」と呼ばれた民主化運動とは何だったのか? その後の経過は? 日本では珍しい女性の中東研究家として活躍する岩永尚子先生がわかりやすく説明します。前回のチュニジアとエジプトに続き、今回はリビアの動きです。

参考記事:第40回「アラブの春」のその後はどうなっているのですか?【前編】

  【前編】ではエジプトとチュニジアに関する現段階での分析をまとめてみました。両国は「アラブの春」の「成功例」と「失敗例」と考えられてはいるものの、「国家」という一体性を保ち続けています。つまり、政権崩壊後に権力がAからBへ移ったと考えられるのに対し、この【後編】で紹介するリビアは権力が移ったのではなく、権力そのものが分散してしまっています。その結果、リビアは国家存続の危機に陥り、内戦に発展してしまいました。

 ところで、「リビア」といわれて思い出せるコト、もしくはモノはなんでしょう? ほぼ、カダフィーと石油だけではないでしょうか……。そして、カダフィー亡き後は、「難民」が海を渡る場所として有名になっており、難民の大半がリビア人だと思っている方も多いことでしょう。実際はリビア人もいるものの、多くはアフリカのソマリア、ナイジェリア、ガンビアなどからやって来た人々です。内戦状態が続いているリビアの現況を理解するために、すこし時代をさかのぼって歴史のおさらいから始めてみましょう。

リビア連合王国が成立するまで

 リビアという国はそもそも1951年まで、1つの国として成立したことはありませんでした。現在の国境は、1951年のリビア連合王国成立の際に確定したものです。なぜ「連合」王国かというと、チュニジア国境から首都であるトリポリを中心とした地中海沿岸部のトリポリタニア、トリポリタニアの南部の砂漠地帯のフェザーン、そしてエジプト国境からトリポリタニアまでのベンガジを中心としたキレナイカという、3つの地方に分かれていたためです。

 この3つの地方はいずれも、16世紀ごろからオスマン帝国の支配下にありました。ところが、19世紀になるとヨーロッパの列強が、北アフリカを植民地にしようと触手を伸ばしはじめます。フランスは1830年にアルジェリアを、1883年には西隣のチュニジアを支配することとなりました。一方、イギリスは東隣のエジプトを1882年に保護国としました。

 チュニジアとエジプトの間に位置していたリビアについては、当初ドイツが獲得を狙っていましたが、ドイツは戦略的価値のより高いと思われたモロッコへと矛先を変更しました。モロッコをめぐって、1911年にフランスとドイツが対立したため(第二次モロッコ事件)、その隙をついてイタリアがオスマン帝国に宣戦布告しました。イタリア軍はリビアに上陸しましが、オスマン軍からのかなり強固な抵抗にあい、トリポリなどの地中海沿岸部のいくつかの都市を制圧したにすぎませんでした。この時、戦争に初めて9機の航空機が使われたのだそうです。

 オスマン帝国がイタリアと講和を結び、軍が去ったのちも、とくに東部キレナイカでのリビア人の抵抗が激しかったといわれています。1931年に鎮圧されるまでに、東部の人口の半分が、イタリアとの戦いで失われたといわれています。

 このように強固な抵抗運動が起きた理由としては、ムハンマド・イドリースに率いられたサヌースィー教団の存在がありました。キレナイカではイスラム神秘主義のサヌースィー教団が1843年頃から布教をはじめ、遊牧民の間にしだいに定着していきました。このサヌースィー教団がイタリアとの徹底抗戦を行なったのでした。

 抵抗は第一次世界大戦中も続き、イドリースがエジプトへの亡命を余儀なくされると、教団はムハンマド・ムフタールに引きつがれました。結局、抵抗運動は1931年に彼が処刑されるまで続いたのでした。イタリアはようやくキレナイカを平定し、フェザーンへも支配を広げ、1934年にトリポリタニアも含めた3地方を統合してイタリア領リビアが成立しました。

 第二次世界大戦がはじまると、1942~3年にはトリポリタニアとキレナイカをイギリスが、フェザーンはフランスが分割占領してしまいます。大戦中はエジプトに亡命していたイドリースが、教団とともにイギリスに協力して連合国側に参加したため、イギリスはイドリースに戦後の独立を認めました。

 ところが大戦が終了すると、イギリスとフランスはそのまま両国でリビアを占領しようとしました。これにはイタリアが断固反対します。イタリアはムッソリーニ政権崩壊後、枢軸国から連合国へと鞍替えして参戦したために、敗戦国ではなかったのです。そのため、イギリスとフランスもイタリアの反対を受け入れざるをえませんでした。その結果、イギリス、フランス、イタリアは国連に3国でリビアを分割する案を提案しました(イギリスがキレナイカ、フランスがフェザーン、イタリアがトリポリタニア)。

 一方、大戦中にイギリスに独立を承認されていたイドリースが、1949年にキレナイカ王国の独立を宣言しました。国連総会ではイギリスやフランスからの提案は否決され、リビアの独立を認めるべきという決議が採択されたのでした。イドリースはトリポリタニアとフェザーンに対して統一交渉を開始したものの、連邦制を主張するキレナイカとフェザーンと、中央集権型を標榜するトリポリタニアとの意見はなかなかかみ合いませんでした。結局、トリポリタニアが妥協し、1951年にリビアはイドリースを国王とした3地域の「連合王国」として、独立を果たすことになりました。

ギリシャ神話のモザイク/ボリビリス, モロッコ【撮影/安田匡範】

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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