「これは温かい飲みものですが、フタの生産が間に合わないので白色にしています」

 この話を聞きながら、シールを作るにも莫大なお金がかかっているだろうなと思う一方で、果たしてシールを貼る意味があるのかという思いが浮かんできました。

「なんでホットなのにフタがオレンジじゃないの?」

 消費者から寄せられるクレームを避けるために、企業サイドが先手を打ったということなのかもしれません。

 震災が起こって改めて気づくのは、選択肢を増やしたい、便利になりたいという欲求を満たすため、私たち自身がコストのかかる社会を作り上げてきたということです。そうした意味で、日本社会は行き着くところまで来ていると思います。

 こうした豊かさを追求し、享受してきたことが、果たして本当の豊かな生活に結びついていたのでしょうか。私には、今回の大災害に際して豊かさがあだとなってしまったような気がしてなりません。

 選択肢や利便性が奪われただけでストレスを溜め込み心身を病んでしまう人は、こころが脆弱だと言わざるを得ません。逆に、そんなことでイライラしてしまう社会は、なんとこころが貧しい社会なんだと思ってしまいます。

 便利になりたい、もっと選択肢を増やしたいという人間の欲望をある時点でストップさせるのは、よほどの決意がないと実現できません。

 震災を経た私たちは、選択肢が豊富にあるという意味での豊かさを、もう一度元に戻すための努力をしていくのでしょうか。この豊かさを享受するために、莫大なコストを支払う社会を再び構築するのでしょうか。

 震災からの復興を考えるとき、こうしたことも改めて考え直す必要があるように思えてなりません。