もちろん通年国会を行えばいいし、そうすれば少数政党にも十分活躍の場が与えられるので、少数意見の反映もより可能となるだろう。けだし、効果対費用の乏しい施策が翌年も継続実施されるとは考えにくいからである。

 要するに参議院は予算の執行状況を丁寧に「仕分け」すればいいのではないか。少数政党の存在意義は市民の多様な意見を現実の政治に反映することであって、まちがってもキャスティングボードを握ることであってはならないと考える。

 そうであれば、少なくとも予算関連法案については憲法の規定を謙抑的に解釈し、衆議院の議決を尊重して、参議院では敢えて否決はしないという政治慣行を与野党の同意の下に、新しく作り出していくべきではないか。この点についても衆参のねじれに苦しんできた民主党と自民党の間で大筋では政治的な合意が出来るのではないかと思われる。英国のように必ずしも成文法によらない大人の知恵を働かせることも政治の重要な機能であると考える。

 新聞では毎日のように大連立の文字が紙面を飾っているが、最高裁の判決が出されて、もはや待ったなしの状況となった1票の格差の是正とそれに関連する選挙制度の骨太の改革こそ大所高所に立ち(大連立的な発想で)民主・自民の両党に歩み寄ってもらいたいものである。そして、このような抜本的な選挙制度の改革がなされた暁には、できるだけ参議院選挙に合わせて衆議院の解散による衆参同時選挙を行い、政権の信を問うことが望まれる。もちろん衆参同時選挙で選ばれた新しい首相が次の同時選挙までの最低3年間は、その職に留まるべきであることは言うまでもない。

(文中、意見に係る部分はすべて筆者の個人的見解である)