大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きしていく。今回は、戦時下の1940年に資本家として自由経済を守ろうとした商工相・小林一三と、国家管理を推進した当時の革新官僚・岸信介との対立を取り上げる。

「資本と経営の分離」をめぐる
商工相・小林一三と革新官僚・岸信介の対立

 近衛文麿は第2次政権の組閣にあたって、東京電燈社長を辞して関西へ帰っていた阪急の小林一三を商工大臣として迎えた。

 近衛首相は組閣後の1940年8月1日、「国策基本要綱」を発表する。

「官民協力による計画経済の遂行、特に主要物資の生産配給消費を貫く一元的統制機構の整備、金融統制の確立強化、重要産業、特に重化学工業及び機械工業の画期的発展」を目指す、としている(「新体制下の事業と経済」「ダイヤモンド」1940年8月15日臨時増刊号)

 9月には「資本と経営の分離」を商法改正によって行なう、という企画院原案が出てきた。財界にまた大反対運動が巻き起こる。

「資本と経営の分離」とは、企業の所有は株主・資本家のままで、経営を国有化して生産力を戦争へ集中させる、という統制経済の手法として企画院が編み出したものである。資本家の利潤はもちろん制限される。財界が反対するのは当然だろう。

「ダイヤモンド」はこう書いている。

「産業資本の奉還といふほどではなくとも、主要産業、国防産業の経営主体の問題」が重要だ。「民有国営か国有国営か」ということだが、「民有国営方式に則った発送電会社が、経営に難渋している」と、電力国家管理問題(連載前回参照)端緒からの連続性を指摘し、企業システムが大転換させられようとしている、と書いている(「ダイヤモンド」1940年8月15日臨時増刊号)。

 商工大臣・小林一三は資本家と電力経営者の期待を担って政権内部で闘った。対立したのは「資本と経営の分離」を推進する商工省事務次官・岸信介(1896-1987、戦後首相に)である。大臣は次官と論争し、ついに「要綱」から「資本と経営の分離」を撤回させた。