橘玲の世界投資見聞録 2017年5月19日

なぜ彼らはヨーロッパへ向かったのか?
難民ビジネスの実態と語られない不都合な真実
[橘玲の世界投資見聞録]

 ハーシム・スーキは37歳の公務員で、地元の水道局に勤めていた。仕事はコンピュータ部門の責任者として住民に請求書を発行することだ。

 2012年、ハーシムは突然逮捕され空港に連れていかれた。空軍が管理する国際空港の地下深くには数百人が押し込められた巨大な牢獄があり、毎日4~5人ずつが拷問室に連れ出され、独身男性は性器に電気ショックをかけられ、ハーシムのような既婚者は手首を縛られて12時間も吊るされた。

 平凡な男がなぜこんな理不尽な目にあったかというと、ハーシムがダマスカスに住むスンニ派のシリア人だったからだ。

 2011~13年にシリアの地下牢で1万1000人以上が拷問死したとされている。この驚くべき事実が明らかになったたのは、関係者によって遺体写真5万5000枚のデータが密かに国外に持ち出されたからだ。多くの遺体には殴られたり、首を絞められたり、電気ショックを受けたりした跡があった。目をくりぬかれた遺体もあった。

 イギリスのジャーナリスト、パトリック・キングズレーの『シリア難民』の原題は“The New Odyssey ”だ。古代ギリシアの詩人ホメーロスの『オデュッセイア』では、英雄オデュッセウスの10年におよぶ漂泊が語られた。「現代のオデッセイ」では、ハーシムが故国を捨て、シリア難民となって単身スウェ-デンに渡り、家族を呼び寄せようと苦闘する姿が描かれている。

ヨルダンのシリア難民キャンプ(ペトラからアンマンへの途中で撮影)                  (Photo:©Alt Invest Com) 

 

「移民」と「難民」の線引き

 イギリス『ガーディアン』紙の移民問題担当になったキングズレーは、ヨーロッパに難民が殺到する前から、彼らの状況を綿密に取材していた(その過程でハーシムに出会った)。難民とはどのようなひとたちで、何を目的にどのように海を渡ってヨーロッパを目指すのか。日本人がほとんど知らない移民ビジネスの内情も含めて紹介してみたいが、その前にまず、「移民immigrant」と「難民refugee」の使い分けについてすこし書いておきたい。

 キングズレーは、移民とは「理由にかかわらず一つの国から別の国にやってくるひと」のことだという。だが本来は中立的なこの言葉をネガティブな意味で使うメディアが出てきた。移民とは「経済的な理由で故郷を捨てたひと」のことで、彼らは正規の手続きで居住ビザや就労ビザを取得すればいいのであって、特別な保護は必要ない。逆にいえば、こうした手続きをせずに居住・就労するのはすべて「不法移民」だ。

 こうした批判に対抗して、リベラルなメディアは、戦争・内戦や圧政から逃れてきたひとたちを「難民」と呼ぶようになった。彼らはやむをえない事情で国を離れなければならなくなったのだから、面倒な手続きなしに人道的な保護の対象になるのだ。

 このようにして、「難民」のことを「移民」と呼ぶのは「政治的に正しくない(反PC)」とされるようになった。「シリア移民」という呼称は、「カネが目的でやってきた連中なんだから、厳格な審査をして、基準に満たなければ問答無用で国に返せばいい」という主張を含意するのだ。

 だがキングズレーは、こうした事情を認めつつも、「移民」と「難民」を区別することに危惧を表明する。移民問題を専門に取材してきた彼からすれば、「移民」と「難民」のあいだには広大なグレーゾーンがあり両者を見分けることはほとんど不可能だ。「難民には保護を受ける権利があるが移民にはない」という決めつけは、気に入らない人間や集団に「移民」のレッテルを貼り排斥することにつながるだろう。

 中近東やアフリカから多くのひとたちがヨーロッパを目指すのは、家族と安心して暮らしたいからでもあり、経済的に生きていけないからでもある。ほとんどの場合、こうした事情は重なりあっているから、両者を無理矢理区別しようとすると、恣意的な線引きが新たな差別を生むことになる。

 だが現実には、シリアの凄惨な内戦から逃れてきたハーシムのようなひとたちを「移民」と呼ぶのは違和感があるので、本稿でもキングズレーの指摘に留意しつつ、「移民」と「難民」を使い分けることにしたい。

「リビアには2つの海がある」

 アフリカからヨーロッパへの密入国を扱う運び屋は、「リビアには2つの海がある」という。ひとつは地中海、もうひとつはサハラという「砂の海」だ。

 サハラ砂漠を渡るには、大きく2つのルートがある。

 ひとつは西アフリカから(リビアの南の)内陸の国ニジェールのアガデスを経由するルートで、国境を越えてリビアの地中海沿岸の町まで直線距離でおよそ1600キロある。このルートを使うのは、ナイジェリア、中央アフリカ、コンゴ共和国などのひとたちだ。

 もうひとつが東アフリカからスーダンの首都ハルツームを経由するルートで、こちらはリビア南東の国境を越えて地中海まで2000キロ近くある。このルートを使うのは主に、紅海沿岸のエリトリアから圧政を逃れてきたひとたちだ。

 「砂の海」は、荒れた地中海同様に危険に満ちている。だが砂嵐に埋もれたり、盗賊に襲われて砂漠に置き去りにされても発見されることはほとんどないので、どれくらいの遭難者がいるのかはわからないままだ。

 密入国の運び屋は中古の4WDに限界まで乗客を詰め込んでサハラを渡る。キングズレーの調査では、アガデスからリビアまでの相場が1人15万西アフリカフランCFA(約2万7000円)。ただし値段は時期や業者によって大きく異なり、倍の500ユーロ(約5万9000円)払ったというひともいれば、30人グループで1人わずか5万CFA(約9000円)ということもある。

 こうした相場から概算すると、アガデスからリビアまでの1回の旅で運び屋は450万CFA(約81万円)、1年で25万ポンド(約3865万円)を売り上げる。アガデスの運び屋ビジネスの「市場規模」は年1600万~1700万ポンド(約24億7000万~26億3000万円) で、そこに警官への賄賂100万ポンド(約1億5500万円)が加わる。彼らが運び屋ビジネスに手を染めるのは需要があるからと、ほかに仕事がないからだ。

 運び屋の拠点であるニジェールもまた、アフリカの「失敗国家(脆弱国家)」のひとつだ。政府首席顧問は、キングズレーの取材に次のようにこたえた。

 「反政府活動のせいで、観光客はアガデスまで来なくなり、手工芸品は売れなくなった。多くの人が転職を余儀なくされた。職人は庭師になった。運び屋になった者もいる」

“もうひとつの海”サハラ砂漠(モロッコ)                (Photo:©Alt Invest Com) 

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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