トランプ米国大統領は、大きな政府を問題とし、産業界の力を取り入れるべきだとする。だが、ミンツバーグは、それは問題の認識そのものに誤りがあるという。国家と企業の相違点は何か。米国が抱えている問題の本質とは何だろうか。


 ドナルド・トランプは大統領選挙中に、米国政府を企業のように運営するという公約を掲げていた。実際、その実現に取り組む「SWAT(特殊部隊)チーム」を娘婿のジャレッド・クシュナーに指揮させると発表したところだ。

 トランプは多くの米国民と同じく、政府の肥大化が同国の最大の問題だと考えている。しかし、私の見方は違う。米国の問題は政府が大きすぎることではない。政治のあらゆる局面で産業界が力を行使しすぎていることなのだ。トランプ大統領は、「エスタブリッシュメント(既成勢力)」に挑戦すると言ってホワイトハウスに入った。そして、ワシントンの非力な政界のエスタブリッシュメントを排除したあげく、産業界のエスタブリッシュメントを閣僚に据えた。

 政府は企業のように、ましてや企業経営者によって運営されるべきだろうか。企業が政府のように公僕により運営されるべきでないのと同じように、どちらも本来の領域を守るべきである。政府はありとあらゆる種類の困難を味わう。それは、多くの企業、特にトランプのような起業家が経営するたぐいの企業には想像もつかないものだ。

 考えてみてほしい。企業には「利益」という便利かつ容易に測定できる成果がある。では、テロ対策の成果とは何だろう。テロ支援国家リストに入る国の数だろうか。国外退去させた移民の数、あるいは建設した壁の数だろうか。発生を未然に防いだテロ攻撃の数はどうか。成果が複雑で測定が難しいからこそ、多くの事業は公的セクターに属しているのだ。

 政府を企業のように運営する試みは何度も行われ、そのたび失敗を繰り返してきた。

 ロバート・マクナマラは、1960年代に「唯一最善の方法」として、「効用計算予算運用法(PPBS:Planning-Programming-Budgeting System)」という経営手法を政府に導入した。ところが、測定への異常な執着は、ベトナム戦争での悪名高い、敵の戦死者数を重視する戦略へとつながった

 その後、ニュー・パブリック・マネジメント(NPM: New Publich Management)が台頭した。これは、1980年代の時代遅れな組織マネジメントを婉曲に表現したものだ。分割した事業1つずつに担当マネジャーを配置し、測定可能な結果に責任を持たせるわけだ。このやり方は州の宝くじには有益かもしれない。しかし、外交や教育はどうか。ましてや、医療に有益だろうか。政府関係者の話を聞くと、ニュー・パブリック・マネジメントはいまなお奨励されているようだが、もはや「オールド」パブリック・マネジメントと呼ぶべきだろう。

 さらに、顧客という問題がある。クシュナーはワシントン・ポスト紙の取材に対し、「国民という顧客のために、成功と効率化をもたらすことが我々の望みなのです」と、的外れで使い古されたメタファーを使って答えた(アル・ゴアも副大統領を務めた際、米国民を顧客と呼んでいた)。HBRの論文『政府の組織論』(DHBR2003年1月号)で述べたとおり、私は単なる政府の「顧客」として、商業的にサービスを購入する存在ではない。誇りを持って社会に参加している国民なのだ。

 たしかに、ビジネスはその領域内では重要だ。政府も同じく、その領域において重要である。ビジネスの領域とは競争市場であり、我々に財とサービスをもたらす。政府の領域とは、我々を脅威から守ることに加え、ビジネスの市場を競合的で信頼の置ける場所に保つ支援をすることだ。近年のワシントンでは、どの政権が競争と信頼のために懸命に取り組んだだろうか。