橘玲の世界投資見聞録 2017年6月8日

インドはいつから「インド」になり
「カースト制度」はいつから始まったのか?
[橘玲の世界投資見聞録]

 前回は、インド社会に大きな困難をもたらしているカースト制が3500年前からつづく「人種差別」であるという主張を紹介した。

[参考記事]
●インドのカースト制度は「人種差別」。カースト廃止を望まない被差別層もいる現実
 

 しかし、こうした「歴史認識」には有力な反論がある。カースト制はイギリスの植民地時代に人為的につくられた制度だというのだ。今回はこちらの主張を紹介しようと思うのだが、その前に「インドとは何か?」というよりやっかいな問題を見ておかなければならない。

インドはいつから「インド」になったのか

 17世紀に入ってヨーロッパ列強の海外進出(侵略)が本格化すると、オランダ、イギリス、フランスなどに次々と「東インド会社」が設立された。このうちイギリス東インド会社はその名のとおりインド(カルカッタ/コルカタ)を拠点としたが、オランダ東インド会社はバタヴィア(現在のジャカルタ)を中心に香辛料貿易を手がけ、江戸幕府との交渉に成功してヨーロッパの国で唯一、長崎・出島での貿易を認められた。

 オランダ東インド会社の活動はインドとはなんの関係もないが、彼らが拠点としていたジャワ島などの島々はその後、インドネシアと呼ばれるようになる。また、コロンブスが発見したカリブの島々はインドの一部だとされ、住民はインディオ(インディアン)、彼らの住む地域は西インド諸島と呼ばれた。だとすれば、いったい「インド」とはどの地域のことなのだろうか?

 この疑問についてインド近現代史を専門とする藤井毅氏は『歴史のなかのカースト』(岩波書店)のなかで、1章を割いて「インドは、いつから「インド」になったのか」を論じている。

チェンナイ郊外にある世界遺産マハーバリプラムの海岸  (Photo:©Alt Invest Com) 

 

 藤井氏は今日、英語の語彙であるIndiaやIndianの意味について議論が起こる可能性はまったくといってほどないとしつつも、「ひとたび、その語の来歴に目を向けたとき、大冊の本をもってしても語りきれないほどの複雑さが立ち現われてきてしまう」と述べる。

 古代インドにおいて、現在のインダス河は、サンスクリット語で水流、ひいては「水の豊かなところ」を意味するスィンドゥSinduと呼び習わされていた。この語はペルシア語では、語頭のS音がH音に転じ、さらに有気音が無気音に転じてヒンドゥHinduないしはHindとなっていった。それがインダス河のみならずインド亜大陸北部一帯を指すようになり、イギリスの植民地下でインド大陸全域を指し示す用語とされ、第二次世界大戦後の独立時に正式な国名となった(このとき、かつては「インド」の一部だったインダス河流域のパキスタンと、ガンジス河口のバングラデシュが分離した)。

 このことからわかるように、ヒンドゥ教は「インド教」、ヒンディ語は「インド語」のことで、いずれもペルシア世界から見た呼称に由来する。

 その後、Hinduという東方の地名は西方ラテン語と古典ギリシア語世界に伝えられたが、そこで語頭のH音が脱落してIndos/Indoi/Indikaなどとなり、それが英語でのIndia/Indianとなった。ちなみにアラビア語ではSindとHindが区別されていて、前者は今日のスィンド地方(パキスタン南東部)、後者はペルシア語と同じくより包括的にインド大陸全体を指す概念として用いられている。

 「ヒンドゥ」や「インドス」の呼称は紀元前までさかのぼるものの、サンスクリット語の文献には、19世紀に入って成立したと思われるものを除けばこの語は見い出せない。これはあくまでも、外部世界のひとびとが(今日の)インドやインド人、彼らの宗教や言語を指して使っていた言葉なのだ。

 インド大陸に住むひとたちは自分たちを「インド人」とも思っていなかったし、地域に固有の宗教が「ヒンドゥー教」だとも考えていなかったが、その一方で交易などでペルシアやアラブと接すれば、彼らが自分たちを「ヒンドゥー」「ヒンディー」と呼んでいることには気づかざるを得なかった。インドにイスラームが伝播し、(イスラーム王朝である)ムガル帝国でペルシア語が公用語の地位を持つようになると、16世紀中葉以降に書かれた文献には、イスラームに比して自らの信仰を語る際に「ヒンドゥー」が使用されるようになった。

 しかし決定的なのはイギリスによる植民地統治で、18世紀末になると、ヨーロッパ諸言語の「インドスターンIndostan」がムガル帝国では「ヒンドゥスターンHindustan」となることが「発見」され、よりペルシャ語音に沿った表記に転じていった。それは同時に、インドの地域信仰にヒンドゥー教Hinduismの名が与えられることでもあった。

 こうした経緯をひもときながら藤井氏は、「今日、インド固有の宗教信仰を指して用いられるこの名称は、遡ることわずか200年ほど前の産物なのだ」と述べる。宗教にとどまらず、「インド」も「インド人」も「ヒンドゥー語」も、植民地下のイギリスで定着した新しい概念なのだ。

街のあちこちで見られるヒンドゥー寺院(チェンナイ)       (Photo:©Alt Invest Com) 

 

アフリカとアジアを合わせて「インド」と呼んでいたことも

 「インド」についての情報は古代ペルシアを経由してヨーロッパへと伝えられ、ヘロドトスなどによって語られた。アレキサンドロス大王がアケメネス王朝を征服し、前327-前325年に北西部インドに進出したことで実態情報も流通するようになった。前300年頃にセレウコス朝の使者としてマウリヤ朝の宮廷に赴いたメガステーネスは、インド社会に見られる7つの身分の区分(メレー)を報告している。

 しかし古代ローマ帝国が崩壊する4世紀以降になると「インド」情報も混乱をきたし、アフリカとアジアを合わせて「インド」と呼ぶようになり、後に「大インドIndia Major」「小インドIndia Minor」の区分が必要になった。

 大航海時代になると、コロンブスなどの冒険家は「本当のインド」を発見しようと船を出し、自分たちが見つけた土地を「インド」だと思い込んだために、アメリカ(新大陸)やインドネシア、さらにはフィリピンまでもがインドとされ、地球上に「インド」が拡散する現象が起こった。

 複数のインドが存在する矛盾は、新世界を「西インド」、ヨーロッパ以東のアジアを「東インド」に分けることで解決されたが、この定義によれば、インド大陸だけでなく、中東や東南アジア、さらには中国や日本も「東インド」ということになる。長崎とヴァタビア(インドネシア)のあいだの貿易を独占したのが「オランダ東インド会社」だとしても、なにもおかしくなかったのだ。

ヒンドゥー団体の行進(マハーバリプラム)  (Photo:©Alt Invest Com) 

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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