大正時代から現代まで、その時代の経済事象をつぶさに追ってきた『週刊ダイヤモンド』。創刊約100年となるバックナンバーでは、日本経済の現代史が語られているといってもいい。本コラムでは、約100年間の『週刊ダイヤモンド』を紐解きながら歴史を逆引きしていく。

電力国家管理完成直前まで続いた
資本家・経営者たちの抵抗

 市場競争を生き抜いてきた1920年代の電力会社は、1930年代に入ると総力戦体制の準備を進めていた企画院のいわゆる革新官僚らによって、民有国営化(資本所有は民間、経営は国家)の流れに巻き込まれていく。革新官僚とは、一種の社会主義計画経済を目指していた経済官僚たちのことである。

 以下のような経緯で電力国家管理は完成した。

牛尾健治と五島慶太<br />電力国家管理批判を繰り広げる 1940-1941年

 日本発送電が電力事業を開始した1939年、全国の民間電力会社は配電(小売)のみを行なうことになった。3年後の1942年には政府によって9地域の9配電会社へ強制的に集約され、それまでの民間電力会社は姿を消すことになる。

 小林一三の東京電燈は関東配電へ統合され、松永の東邦電力も九州配電、中国配電、中部配電、関西配電などへ分割・統合された。小林は関西へ帰り、松永は小田原の茶室に隠棲してしまう。自由主義的資本家の最期だった。

 1939年から1942年まで、資本家・経営者の最後の抵抗が繰り広げられた。当時の「ダイヤモンド」のページをめくると、電力経営者の主張がたびたび収録されている。小林一三、松永安左エ門を除く、代表的な2人の意見を読んでみよう。