素朴な疑問が浮かぶ。
さらに奥地はどうなっているのだろう、と。

 アジアの最貧国の一つ、ラオス。2009年の夏、僕はその最北部にあるムアンシンという町を訪れた。学生時代に訪れた中で、最も印象に残った場所だったからだ。ムアンシンは、旅人たちには阿片の栽培で知られた小さな町で、麻薬栽培で悪名高い「黄金の三角地帯」の一角を成す。麻薬の栽培に現金収入を頼る極貧地域だか、人々は優しかった。

 当時は電気も電話もない「世界の果て」だったけれど、8年振りに訪れたこの町は、大きく変わっていた。中心部だけ見れば、見違えるほどの賑わいを見せている。以前訪れたときにはなかった新しい市場には中国製品が立ち並ぶ。しかし、貧しい人たちは貧しいまま変わっておらず、物を乞い歩く人々は変わらぬ姿で物乞いを繰り返していた。

 そのことに疑問を感じながら、ムアンシンからさらに奥地に進む。ただの旅行者では訪れることもできないような奥地、雨が降るだけで進むことも戻ることもできなくなる山の中にその村はある。そこは、僕がそれまで訪れたどこよりも貧しい人々の村だった。そして僕は、この場所で「貧困とは何か」ということがわからなくなってしまう。

 山岳地帯に住むアカ族は世界で最も貧しい民族の一つだ。阿片の栽培で生計を立てていたが、近年の法制度の強化によって現金収入の術を立たれ、多くのアカ族が物乞いに転じた。

 そのアカ族の村で、冒頭の美しい茶色の髪の少女に出会ったのだ。