フィットネス、食事の管理、自己学習…一定の成果を上げるために長期間の努力を要する場合、多くの人が途中で挫折してしまう。そうならないためには、目先のご褒美を上手に設定することが重要だ。


 自分へのご褒美を遅らせることの大切さは広く認識されている。将来、さらに大きな目標を達成するために、目先の利益を追わないことが重要なスキルだと考えられているのだ。

 たとえば、よく知られているのは「マシュマロ実験」である。あとで2個のマシュマロをもらうために、いま1個のマシュマロを食べるのを我慢できる子どもの自制心は、学業成績や健全な人間関係など、いくつかの優れた点に結びついていた

 しかし、目先の利益も、長期目標のための努力を持続するうえで役立つのではないか。この疑問の答えを見つけるため、私たちは5つの実験を実施した。学生やジムの利用者、美術館の利用者など449人に、長期的な目標達成への努力をどのくらい持続できたか報告してもらったのである。また、目標に向かっていくなかで、すぐに手に入るメリットと遅れてやってくるメリットのどちらを実感したかも教えてもらった。その論文はPersonality and Social Psychology Bulletinで発表している。

 ある実験では、年初に決める自己目標に関して、対象者にオンラインで尋ねた。ほとんどの人が、キャリアアップや借金返済、健康増進など、達成に時間のかかる長期的なメリットのために目標を設定していた。それらの人々に、目標を追い求めるのはどのくらい楽しいか、またその目標はどの程度重要だと思うか質問した。さらに、目標を設定した2ヵ月後に、いまもまだ目標達成に向けた努力を続けているかどうか尋ねてみた。その結果、目標がどんなに重要だと思っているかよりも、それが楽しいと感じていれば2ヵ月経っても引き続き目標達成に向けて取り組んでいる確率がはるかに高かった。

 とはいえ、対象者たちは最終的に手に入るメリットを過大評価していた。そのメリットが目標達成への努力を持続するカギを握ると考えていたのだ。

 今後の数ヵ月間で、目標達成への努力を持続するのに何が役立つと思うかを尋ねたところ、成功のためには、すぐ手に入るメリット(楽しさ)とあとで手に入るメリット(重要性)の両方が大切だという答えが多かった。しかし実際には、あとで手に入るメリットが大きく影響していたのは、最初に目標を設定するときだけで、努力の持続にはあまり効力がなかったのである。

 あとで手に入るメリットより目先のメリットのほうが、努力の持続を正確に予測できるという共通のパターンは、フィットネスや食事、教育といったさまざまな分野で見られた。

 ある実験では、ジムの利用者が有酸素運動マシンを何分間使っているかを計測した。同時に、運動による健康の増進(あとで手に入るメリット)と楽しさ(すぐに手に入るメリット)について、どの程度関心があるか尋ねてみた。その結果、楽しくトレーニングすることを重視する利用者のほうが、楽しさを重視しない人と比べて運動時間が長いことがわかった。体形を保つなど、あとで手に入る健康上のメリットをより重視する姿勢は、有酸素運動マシンで運動する時間を長くする助けにはなっていなかったのである。

 長期にわたる健康習慣の持続に関して筆者らが行った別の実験でも、同様のパターンが見られた。美術館を訪問中のシカゴ市民に、運動をどの程度楽しめているか、また過去3ヵ月に1週間当たり何時間ほど運動したかを尋ねてみた。その結果、運動が楽しいと答えた人ほど、その期間中の1週当たりの運動時間が長いことがわかった。一方、健康のために運動がどれほど重要かに関する対象者の見解は、同じ期間における運動時間の長さを予測するうえで役立たなかった。対象者は、運動が重要だし、同時に楽しいと回答したが、対象者の運動習慣を予測できるのは重要度ではなく、楽しさだったのである。

 また、同じ対象者に対して、健康的な食事のとり方についても尋ねてみた。緑色野菜をおいしいと感じるかどうか、そして、それを摂取する重要度を評価してもらい、1週間にどのくらい野菜をとっているか答えてもらった。その結果、野菜がおいしいと思っている人ほど、1週当たりの野菜の摂取量が多かった。一方、健康にとって緑色野菜が重要だという見解は、野菜の摂取量を増やす結果にはつながっていなかった。

 シカゴ大学の学生を対象に、勉学における粘り強さを調べたときも、同様の結果が得られた。ほとんどの学生は、よい成績を取るなど、あとで手に入るメリットのために勉強している。だが、テーマが面白ければ、勉強も楽しいものになる。私たちはシカゴ大学の図書館で勉強している学生たちに、学習している内容をどの程度楽んでいるか、また、その内容はよい成績をとるうえでどの程度重要か、と尋ねてみた。その結果、内容を楽しんでいる学生の学習時間が長かったのに対し、内容の重要性の認識と学習時間には関連性が見られないことが分かった。重要だから勉強しているとしても、重要度から学生がどの程度勉強するかは予測できないのである。