シンプルなほど洗練されているケース

 人々の考えとは裏腹に、複雑系には、複雑なシステムも規制も政策も不要だ。「シンプルであればあるほどよい」のだ。複雑化すると、想定外の影響が連鎖的に膨らんでいく。不透明性のせいで、干渉は予測不能な影響をもたらす。“予測不能”な結果について詫びたあと、二次的な影響を正すために別の干渉をする。すると、“予測不能”な反応は枝分かれ的に急増する。しかも、先に進むたびに影響は深刻になっていく。

 なのに、現代の生活でシンプルを実践するのは難しい。自分の職業を正当化するために、何でもかんでも専門化しようとする連中の考え方に反するからだ。

 少ないほど豊かだ。そして、ふつうは少ないほど効果的だ。そこで、私は本書でほんのいくつかのコツ、指針、禁止事項を提案したいと思う。理解不能な世界をどう生きるべきか。いやむしろ、絶対に理解できない物事に臆することなく対処するにはどうすればよいか。もっと原理的にいえば、そういう物事にどう対処すべきか。さらにいえば、自分たちの無知に面と向かいあい、人間であることを恥じることなく、人として積極的に堂々と生きるにはどうすればよいのかを提案したい。だが、それにはちょっとした構造的な変化が必要かもしれない。

 私が提案するのは、人工的なシステムを修正し、シンプルで自然なシステムに舵取りを任せるためのロード・マップだ

 しかし、シンプルを実現するのはシンプルじゃない。スティーブ・ジョブズは「思考を整理し、シンプルにするには努力がいる」と述べている。アラブには、明快な文章についてこんな表現がある。「理解するのに技術はいらなくても、それを書くには名人の技がいる」

 ヒューリスティックとは、物事をシンプルで実践しやすくする単純化された経験則だ。しかし、ヒューリスティックのいちばんの利点は、それが完璧ではなく、単なる応急策だとわかっている点だ。だから、その威力にだまされることはあんまりない。危険なのは、そのことを忘れたときだ。

(続く)