マッキンゼーの日本支社長からカーライル・ジャパンの共同代表を経て、現在早稲田大学ビジネススクール教授を務める平野正雄氏。30年に亘って一貫して、企業経営を見てこられた。今回、初の著書経営の針路を刊行されたのを機に、これまでのキャリアについて伺った(構成/新田匡央、写真/和田佳久)。


編集者(以下色文字):平野さんは以前、エンジニアリング会社のエンジニアだったとお聞きしています。どのような動機でマッキンゼーに転職しようと思われたのですか。

平野 正雄(ひらの・まさお)
早稲田大学ビジネススクール教授
1998年から2006年まで、マッキンゼー・アンド・カンパニーのディレクターおよび日本支社長。マッキンゼーには1987年より20年間在籍し、情報通信および製造業から医薬品および金融までの幅広い産業分野において、企業の経営戦略、組織改革、グローバル化、M&Aなどのプロジェクトに従事。2007年からプライベートエクイティ大手のカーライル・ジャパンの共同代表として、複数の日本企業のマネジメント・バイアウト(MBO)投資に参画。2012年より現職。ビジネスモデル学会会長、工学博士(東京大学)

平野正雄氏(以下略):プラントエンジニアリングの仕事は、それはそれで気に入っていました。ネガティブな思いから転職したわけではありません。転機になったのは、エンジニアリング会社が海外留学に派遣してくれたことです。その期間が歴史的なプラザ合意があった1985年9月22日と重なりました。留学に行く時点では1ドル230円台から250円台の値をつけていた円がみるみるうちに高騰し、翌年同時期には150円台まで上がったのです。非常に細かい精度でコスト管理をしなければならないエンジニアリング業界の価値観からすると、理解を超えた衝撃的な変化です。

 しかも、プラザ合意の前後は日本の競争力のピークで、そこからバブルに突入していくという激しい変化が始まり、私はその感覚を米国の大学院にいながらにしてひしひしと感じていました。

 同じころ、アップルからマッキントッシュが発売されました。大型コンピューターに味気ない端末をぶら下げていた時代から、美しくワクワクするようなインターフェースのパソコンの登場に、大きなインパクトを受けます。留学先のスタンフォード大学工学部では、30年以上前の時点でリモートで動画の講義を履修することができ、宿題は電子メールに添付して提出できるなど、既にITを取り入れた教育を実施していたことにも衝撃を受けました。

 こうした「世界の揺らぎ」を感じているところへ、マッキンゼーがリクルーティングに来たのです。マッキンゼーに関しては大前研一さんの名前ぐらいは知っていましたが、コンサルティングという職種についてはほとんど知りませんでした。話を聞いて、今、自分が体感している変化の現場にダイレクトに関わることができる職業があるのかと、たいへん興味が湧いたのがきっかけです。

 平野さんにとって、キャリアを変えるのは一大決心だったのですか。

 それほど重大な決心という感覚はありませんでした。人生を賭して、あるいはリスクを負ってというイメージは皆無でしたね。

 しかし、今とは違って、コンサルティング業界はさほど認知されていません。

 そうだとしても、あまり気になりませんでした。むしろ、仕事の面白さに惹かれたのが理由としては大きかった。厳しい、みんな短期で離れていく、などといった忠告をしてくる人もいましたが、そう見えないかもしれませんがもともと楽観的な性格なので「なんとかなるさ」という感覚でした。2,3年みっちり問題解決能力を磨いて、次のステップに進めば良いと考えていました。それが何だかはわかりませんでしたが(笑)。

 実際に入られて、マッキンゼーの仕事はいかがでしたか。

 企業の内部に深く入り込み、改革の現場に携わることができる環境は、期待した通りでしたね。ただ、1987年に入社したので、日本経済はバブルのピークに達して、やがて崩壊していく過程にありました。従って、当時のコンサルティングプロジェクトも当初は21世紀を意識したビジョンや長期戦略をテーマにした前向きなものが多くありましたが、1990年代に入ると構造改革やコストダウンを扱うものが多くなっていきました。

 産業間で状況も大きく異なり、金融や製造業は全般に負の遺産への対応に追われる一方で、情報通信や製薬あるいは消費財系の産業ではイノベーションも活発で、プロジェクトの比率も高まっていきましたね。ただし、成長神話が終わり、それに代わる明確な経営の基軸は確立されていませんでしたし、また金融危機の発生など日本経済全体が混乱していましたから、当時の日本企業の経営は拠り所のない、展望も開けない大変に不安定な時期だったと思います。

 マッキンゼーにいると、海外企業の事例も入ってくると思います。日本企業が自信を失ったなかで、前向きなチャレンジを続ける海外企業を見て「もどかしさ」は感じませんでしたか。

 それは常にありました。ただ、米国や欧州の企業の改革は気になるし、勉強もしていましたが、それをそのまま持ち込めば日本企業の課題が解決するわけではないことはわかっていました。企業の経営体質や組織の持てる力からすると、海外企業と同じことはできないのが明確だったからです。経営者も現場も含め、それを受け入れることに抵抗もあったでしょう。

 議論の材料としていろいろな海外事例を紹介したり、一緒に現地訪問に行ったりすることもありましたが、やはり基本は、日本企業の状況に即した解を徹底的に考え抜くことにならざるを得ません。その企業にとって成果が上がるところまで持っていくのを丹念にやるのが、マッキンゼーの仕事なのです。

 コンサルタントは、経営課題解決のための論理的な道筋を考えると共に、その実行に関して経営者と一緒に「なやみ」、「もがく」ことから逃げてはいけないのです。

 一般論として、米国のコンサルティングファームは資本の論理をかざし、経営者は株主価値を生み出す存在と位置づけるイメージがあります。でも、平野さんはご著書でも株主価値一辺倒の議論をされません。

 そもそも、そのイメージがステレオタイプだと思います。そこに経営者がいて、そこに組織があれば、その業績を良くしていくことしか考えません。資本の論理をかざしたところで、受け入れられないのであれば意味はないのです。コンサルタントは「クライアント・スペシフィック」(その顧客ならでは)に考え抜くしかない。一般論や正論だけを言ってても仕方がないのです。

 ただし、クライアントと同じ目線に立てば良いということでもありません。経営者として既存の事業にこだわりがあることはわかりますが、事業の将来性の見通しが極めて厳しく、そこに経営資源を割くべきではないことが客観的に見て取れたら、それを指摘するのはコンサルタントの重大な仕事です。そのベースにあるのは資本の論理だけではなく、クライアントを強い企業、良い企業にするにはどうすればいいか、ということを多面的かつ具体的に考えぬくことです。その事業がどれだけキャッシュを生むかというボトムラインだけで議論はしません。

 わかりやすい例はパソコン事業です。パソコンは完全にエンジニアリング・コモディティで、規模の利益がシンプルに効くビジネスです。機能的にいい物を作れば売れて儲かるというわけではないのに、各社がちょっとした差別化やこだわりで事業を続けている。これは資本の論理ではなく、競争の論理や事業構造の観点からしておかしい。

 競争や事業の「理」に叶わない非合理的な経営を継続することは、もちろん結果的に株主価値を毀損していることになりますが、それを市場競争や事業構造のレベルで解析して、経営としての選択肢を提示することがコンサルタントの仕事になります。この場合であれば、撤退だけではなく、他社との事業統合やOEM化などの多様な選択肢を検討し、財務的な観点だけではなく、クライアント・スペシフィックな戦略的な観点からも各選択肢の優劣を評価することになります。

 ここでもう一つ重要な概念が「ファクトベース」です。ファクト(事実)を重視し、客観的で合理的な議論をすることです。その検討の結果が経営者の思いとは裏腹なものであっても、そのファクトに基づいて提言する。それがコンサルタントの役割です。事業の強化のために雇ったコンサルタントから、事業から撤退しろと言われる。当然のことですが、クライアントは怒ります。場合によっては、出入り禁止になることもあります。

 でも、マッキンゼーでは、ファクトに基づいて合理的であり、かつクライアント・スペシフィックに考え抜かれた提言を行ったのであれば、それがクライアントの不興を買ったとしても、そのことでコンサルタントが咎められることはありません。プロフェッショナリズムとは、そういうものだからです。結局そのプロジェクトの場合も、クライアントは検討対象となった事業から数年後には撤退する決断をすることになりました。

 平野さんが日本支社長だったときも、部下の方々にそう言っていたわけですね。

 まず、マッキンゼーには上司部下の関係はありません。役割は異なりますが、クライアントに尽くすプロフェショナルということでは、全員対等の存在です。その上で、立場上マッキンゼーの理念やプロフェショナリズムを伝承することはシニアの役目です。場合によっては「不都合な真実」をクライアントに伝えることも、プロフェショナルの役割の一つです。

 でも、結局クライアントに拒絶されたのでは無意味になりませんか。

 もちろん、コミュニケーションは周到に行わなければいけませんし、相手の方の立場を尊重することも言うまでありません。提言が受け入られるために、あらゆるコミュニケーション上の努力はしなければなりません。ここで重要なことは、この結論はマッキンゼーやコンサルタントが考え出したものではなく、市場や競争の冷徹な原理が導き出したものであることを理解してもらうことです。そうであれば殆どのクライアントの方は、意図と異なる結果であっても提言は受け入れられるものです。

 ただ、頭で提言を受け入られたとしても、では実際にタフな決断をして、改革を実行に移されるかは別の高いハードルであることは確かです。決断は経営者のみがし得ることですから、コンサルティングの限界がそこにあることは間違いありません。実施されない提言を置いてくることは、それだけで咎められないとは言え、良いことでは全くありませんので、提言実行の阻害要因も把握して、それを乗り越えるための案をクライアント・スペシフィックに、ミドルや現場の方々も巻き込んで泥臭く詰めていくことがすごく大事になります。

 コンサルティングにはスマートなイメージがあるかもしれませんが、実際は大変に泥臭いものです。

 マッキンゼーといえば個性が強い人の集まりという印象がありますが、個性の強い人をマネージするのはたいへんだったのではないでしょうか。

 いいえ、一緒に仕事をする上で楽しいことはあっても、マネージで大変な思いをしたという記憶はありません。というのもプロフェショナリズムの重要な要素に、セルフガバナンスという概念があるのです。

 これは、個々のコンサルタントは誰かに指示されて仕事を進めるものではなく、まして決められた業務手順があるはずもなく、一人ひとりがプロフェショナルとして自律的に判断して、仕事を進めるという行動原則です。この原則に基づけば、個々のコンサルタントには、クライアントの利益に適った判断になっているか、一切の職業的倫理に悖る要素はないか、自分が持てる能力をフルに発揮して生産性の高い仕事ぶりになっているか、ということを自問自答しながら規律を持って仕事を進めていくことが求められるのです。

 後は、常識的なチームワークやコミュニケーション力は期待されますが、逆に言えば、この原則に則っている限り個性やスタイルの違いは歓迎されるものです。それにお互いが違いをリスペクトしていましたからね。だから、人のマネージと言えば、とにかく才能のある人たちばかりですから、公平に処遇するということにつきるわけで、それ以上に複雑なことはありません。

 結局、マッキンゼー全社では世界中で常時2000~3000近いプロジェクトが走っており、そのクオリティを少数のシニアが管理するようなことなどありえないのです。一人ひとりがプロフェッショナルとしての自覚を持ち、何をしなければならないか、何をしてはいけないか自己規定し、最高のクオリティで仕事をするよう仕向けること以外、クオリティコントロールをする方法はありません。だからこそ、理念を共有する信頼できるメンバーに任せていくしかないのです。

 平野さんが日本支社長だった時代のマッキンゼーは、特に「とんがった人たち」が多かったように思えます。

 アントレプレナーというかリスクテイカーというか異端者というか、当時は特にそういう人が集まっていましたね。おそらくコンサルティングという職業も、マッキンゼーという会社もまだメジャーではないからこそ、非常にユニークな人たちが集まってきたのだと思います。

 この時代の人たちの大半は既にマッキンゼーは卒業しており、それぞれの分野で活躍しています。素晴らしいことです。これからも外で活躍する人たちをたくさん輩出し続けると思いますね。

後編へつづく。

 

【著作紹介】

経営の針路
―――世界の転換期で日本企業はどこを目指すか

(平野正雄:著)

コンサルタント、投資家、そして経営学者として、30年以上にわたって多くの日本を代表する企業の経営に携わってきた著者が、この30年間で大きく変化した世界経済の様相を3つの切り口(グローバル、キャピタル、デジタル)から分析すると共に、変貌した世界で日本企業が弱体化した理由を説明する。そして、世界から取り残された日本企業が、いまやるべきことを示唆する。著者初の著書。蓄積された経験と思考が凝縮された珠玉の経営書。

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