「紛争調停人」の仕事とは?

ガルトゥングが何者であるかを紹介するとき、「平和学の父」と並んで頻繁に登場するのが「紛争調停人」という肩書きだ。調停の対象は、国家間の紛争から地域社会での利害衝突まで幅広い。大小さまざま、成功も失敗も含めて、これまでに約150案件を手がけた。

私は、メディエイター(調停人)として、紛争に介入する第三者機関の担当者を助けるという立場で関与します。あくまで、当事者との個別の対話を通して、平和的に転換することに主眼を置く。紛争で対立する当事者たちの話を聞いて妥協点を見つけるのではなく、衝突や矛盾などを“超越”した新しい創造的な解決策を導き出す取り組み全般のことです。

紛争当事国に赴くのですから、危険な目に遭うこともあります。ですが、理論と実践との間を往復しながら、その成果を体系立てて世界各地で教えることができる。非常にやりがいのある仕事です。(インタビューへの回答『週刊ダイヤモンド』2017年7月1日号)

平和のエージェント

ドイツの哲学者ショーペンハウアーは、新しいビジョンは社会に受け入れられるまでに4つの段階を経ると指摘している。(1)沈黙(新しい考えに触れたとき人々の最初の反応は沈黙である)、(2)嘲笑(現実がわかっていない、バカじゃないのか)、(3)疑い(どこかの国のエージェントだろう)、(4)同意(実は私も前からそう考えていた)の4段階である。

かく言う私も、「嘲笑」の段階には何度も到達したことがある。「疑い」の段階も体験したことがあり、中国か北朝鮮のスパイではないかと疑われたことがある。私はどの国のエージェントでもなく、平和のエージェントである。(p.212)

仏教(大乗仏教)に心を惹かれるものがある

熱心なクリスチャンであった父に従い、幼少期はキリスト教の教会に属していたが、後に聖職者のオフィスを訪ねて教会から離れる手続きをした。自分の意思でそれができる15歳の誕生日、オフィスが開く朝9時のことであったという。

ガルトゥングはどの宗教にも、またその信仰者にも敬意を払う。ただ、どんな宗教にも良い面と悪い面があること、宗教が国家と結びつくとき残忍なまでの暴力性を帯びることを指摘している。とりわけ、米国の好戦性の根底にある原理主義的キリスト教(善悪二元論、ハルマゲドン、選民思想といった概念をもてあそぶ)には嫌悪を隠さない。

ガルトゥングはどの宗教も信じておらず、宗教団体にも属していないが、仏教(大乗仏教)に心を惹かれるものがあると語っている。

ガルトゥングの「使命感」

87歳という高齢にもかかわらず、ガルトゥングは強い使命感を持ち、いまも精力的にさまざまな活動をこなしている。

人々から「平和学の父」と呼ばれるのは面映ゆい。私が父なら、平和学には祖父もいれば曾祖父もいる。とはいえ、この名前には思い入れがある。それは1951年、21歳のときのことだった。私は世界に、戦争研究はあるのに平和研究が存在しないことに気づいた。平和について考える人はいても、体系的な研究が行われていないことに気づいたのだ。空が開け、天からの声で、「ヨハン、これが汝のなすべき仕事である」と言われたような気がした。ほとんど宗教的と言ってもよい体験だった。私は「平和学の父」と呼ばれることを誇りとしており、その名に恥じぬようベストを尽くしたいと思っている。(p.252)

『日本人のための平和論』の緊急執筆も使命感に突き動かされた行動の一つである。その出版に合わせて、先月は東京で3日間のスケジュールを精力的にこなしたが、その前後は中1日の空きもなくデンマークとスペインでイベントや会議のスケジュールが組まれていて関係者を驚かせた。

数ある活動のひとつが原稿執筆で、自身が代表を務めるトランセンドのサイトのTranscend Media Serviceというコーナーには、毎週欠かさずガルトゥングの論考(英語)がアップされている。関心のある方はぜひのぞいてみてほしい。

「紛争調停人」の仕事とは何か?
ヨハン・ガルトゥング
1930 年、オスロ生まれ。社会学者。紛争調停人。多くの国際紛争の現場で問題解決のために働くとともに、諸学を総合した平和研究を推進した。長年にわたる貢献により「平和学の父」と呼ばれる。「積極的平和」「構造的暴力」の概念の提唱者としても知られる。自身が創設したトランセンドの代表として、平和の文化を築くために精力的に活動している。創立や創刊に関わった機関に、オスロ平和研究所(PRIO)(1959)、平和研究ジャーナル(Journal of Peace Research)(1964)、トランセンド(1993)、トランセンド平和大学(TPU)(2004)、トランセンド平和大学出版局(2008)がある。委員あるいはアドバイザーとして、国連開発計画(UNDP)、国連環境計画(UNEP)、国連児童基金(UNICEF)、国連教育科学文化機関(UNESCO)、世界保健機関(WHO)、国際労働機関(ILO)、国連食糧農業機関(FAO)などの国連機関で、また欧州連合(EU)、経済協力開発機(OECD)、欧州評議会、北欧理事会などでも重要な役割を果たした。教育面では多くの大学で学生を指導した。客員教授として訪れた大学は世界各国で60近いが、そのなかには日本の国際基督教大学、中央大学、創価大学、立命館大学も含まれる。名誉博士、名誉教授の称号は14を数える。平和や人権の分野で、ライト・ライブリフッド賞“もうひとつのノーベル賞”、ノルウェー・ヒューマニスト賞、ソクラテス賞(ストックホルム)、ノルウェー文学賞、DMZ(非武装地帯)平和賞(韓国)、ガンジー・キング・コミュニティ・ビルダー賞(米国)など 30 以上の賞を受賞している。 写真/榊智朗