ジャーナリストは
偏るのが当たり前

 それを象徴するのが、加計問題の「総理のご意向文書」を報じた1週間後の5月23日に掲載された「報道、これでいいのか」というオピニオン記事である。そのなかに登場した神奈川新聞デジタル編集委員の石橋学さんは、まるで今回の閉会中審査をめぐる「偏向報道」を予期していたかのようなエールを送っている。

「報道には公正中立、不偏不党が求められると言われます。ただ、多くの記事がそれを意識するあまり、視点がぼやけていないか。読者に判断を丸投げし、自分で判断をして主張することをサボっていないか。そう問いたいのです」(朝日新聞2017年5月23日)

 この提言からほどなく、朝日全紙をあげた「正義の前川」キャンペーンが始まったのはご存じのとおりだ。

 加計学園問題で朝日新聞が前川さんのことに触れた記事を数えたら122件あった。読売新聞が79件だということを考えると、本件で朝日新聞が強烈な「主張」を展開しているのは明らかだ。

 そう言うと、まるで「朝日」をディスっているように聞こえるかもしれないが、そんなつもりはない。

 筆者はかねてから「ジャーナリストは偏るのが当たり前」だと主張してきた。記者もジャーナリストもOJTで取材テクニックや人脈を構築しただけの普通の人で、裁判官のように司法研修所で「中立公正」とは何かを叩き込まれたわけでもない。どんなに偏るまいと思っていても、自らの主義信条、価値観、経験則などに必ず引っ張られる。

 しかも、今回、前川さんをネタ元とした「朝日」と、官邸をネタ元にした「読売」の論調がきれいに分かれたように、日本のマスコミは情報源にベッタリと依存する「アクセスジャーナリズム」に頭までどっぷりとつかっている。

 そういう意味では、朝日新聞が今回のように加戸前知事を「黙殺」したというのも、実にジャーナリストらしい偏りぶりだと思っている。いろいろなご意見があるだろうが、加戸氏の証言を事実上ネグってしまうことが、彼らが信じる「正義」だったのだ。

 ただ、ひとつ不満なのは、自分たちが「偏っている」ということを読者に対してしっかり説明をしていないことだ。