今年はやけに心を直撃する訃報が多い。存在感や作品、人柄にほれ込んだ人物がこの世を去る。そのたびに寂しさや喪失感を味わっている人も少なくないだろう。

 スポーツ界も例外ではない。2月28日には巨人で3度首位打者になり、中日の監督としても手腕を発揮した与那嶺要氏(享年85、以下同)、3月6日には箕島高校監督として甲子園で春3回、夏1回の制覇を成し遂げた尾藤公氏(68)、4月21日にはロッテのエースとして活躍した成田文男氏(64)、5月2日には1968年メキシコ五輪で銅メダル獲得の快挙を成し遂げたサッカー日本代表の主将・八重樫茂生氏(78)、7月17日にはサッカー日本代表のMFとして活躍し、その後日本代表監督、浦和レッズ初代監督、横浜FマリノスGMなどを歴任した森孝慈氏(67)が亡くなった。

 そして7月29日には日本を代表する剛球投手だった伊良部秀輝氏(42)死去の報が伝えられ、その衝撃も癒えぬ8月4日、元サッカー日本代表の松田直樹選手が急性心筋梗塞によってこの世を去ってしまった。

ひときわ衝撃が大きい
スポーツ界からの訃報

 訃報は気持ちを沈ませるが、スポーツ界の人物の場合、現役時代の躍動する姿が目に浮かぶ分、ひときわ衝撃が大きい。なかでも胸がしめつけられる思いになったのが、現役でプレーしていた松田選手が34歳の若さで亡くなったニュースである。

 松田選手には筆者も取材をしたことがある。思ったことをストレートに口にするタイプ。その分、誤解されることもあったが、サッカーに対する真っ直ぐな思いが伝わってきて、仕事を超えて応援したくなったものだ。また、その笑顔や仕草には人を惹きつけずにはおかない独特のオーラがあった。16年間在籍した横浜マリノスではサポーターからの絶大な人気を誇り、今季から移籍したJFL松本山雅でもそれが引き継がれたのも、その人間的魅力があったからだろう。

 存在感だけでなく、松田選手は日本サッカー界に大きな足跡を残した。

 日本のサッカーは90年あまりの歴史を持つが、世界的には注目されることのない状況が長い間続いた。ワールドカップは出場することさえ夢といわれる時代があったのだ。

 この日本サッカー界が本気で世界に挑むようになったといえるのは93年にJリーグがスタートした頃からの20年足らずである。