元経営コンサルタントが、自らの戦略理論を、京の舞台でミシュラン一つ星に変えました。「蕎麦屋にこら」は、蕎麦屋の新しいヒストリーを創っています。京蕎麦のはんなりしたオーラは、五辻町の町家の中にありました。

(1)店のオーラ
経営理論を蕎麦屋で実践

 “いいおだし、でしたわ”これが京都では一番の誉め言葉です。

 客は蕎麦屋に、“おだし”を味わうために、温かい汁蕎麦を求めてやってきます。

澄んだ甘汁で京都の舌を納得させました。ミシュラン一つ星の技が凝縮したかけそば。

 石臼で挽いたざる蕎麦を打ち上げ、辛つゆを作って、「にこら」は客を待ちました。が、客の注文は温かい蕎麦ばかりだったといいいます。
しかも、電話では出前の注文が度々入ってきました。

 「京都では手打ち蕎麦屋はその程度のものでした」

 2010年・京都大阪版ミシュランの一つ星に輝いた「にこら」でさえ、6年前の開業時点では、亭主がそのギャップに溜息をつくありさまでした。関東の辛汁、関西の甘汁。江戸時代まで遡る食文化の違いが、大きな壁になっていました。

鮮やかな旬采3点盛り、蕪のジュレをのせた鯖のカルパッチョがよい酒肴になります。

 「にこら」店主の沼田宏一さんは、福島で生まれ、大学を卒業して京都の経営コンサルティング会社に勤めました。

 実績も上げコンサルタントして一人立ちしてきた頃、根が実践派の沼田さんは、リアリィティのある実業に心が惹かれ始めました。

 「10年を一区切りにして、これまでに学んだ経営ノウハウを現実的なものに生かしたかった」

 沼田さんが当時の思いを語ります。

 女将の岐阜の実家にも何回か相談に行ったといいます。女将の圭子さんは沼田さんの秘書を務めていて、それが縁での結婚でした。

蕎麦とつゆの相性がぴたりと合う亭主の技。岐阜以来14年積み上げてきました。

 女将の父親は料亭を一代で成功させ、その後岐阜には珍しい手打ち蕎麦屋を興していました。沼田さんは義父に経営の実践家として、尊敬の念を抱いていたのです。

 ある時、女将の父親から逆に相談を受けます。

 「どうせ何か始めるなら蕎麦屋に入ってみないか」

 かつて皇室関係の訪問もあったほどの60席もある大きな蕎麦屋でしたが、料亭の経営に追われ手が回らなくなり、客足が年々に落ちてきていました。

 義父は沼田さんの経営コンサルタントの力量に期待したのでしょう。