「あれこれ悩んでいても仕方ない。これまでに身に付けた技術を早く発揮したい」

 明るい表情でこう語るのは、福島県浪江町の高橋俊正さん。62歳。単身で花きや畜産、コメ作りを営む認定農家で、避難生活を強いられている。自宅は福島第一原発から約26キロ離れた浪江町赤宇木地区。計画的避難区域に指定された放射線量の高いエリアだ。

 高橋さんは福島市内の親戚の元に身を寄せた後、浪江町が仮役場を設置した二本松市に移動し、市内の岳温泉の旅館で不自由な生活を送っていた。お盆前にやっと仮設住宅への転居が決まり、新たな仕事も見つかった。福島県の支援事業の対象となり、同じ境遇の仲間とともに福島市内の農家に雇われることになった。コメと豆、そして菜種作りを手伝うという。日当6200円で、契約期間は来年3月まで。二本松市内の仮設住宅から車で職場に通う。高橋さんは「やる気さえあれば、農業で十分食っていける。花き農家として早く自立したい」と語る。来年4月から福島市内で農地を借り、再起を期するという。

 高橋さんはもともと、避難先で農地を借りて営農を再開することを考えていた。使われていない遊休農地が各地にたくさんあることを知っていたからだ。福島県内の耕地面積約12万4000ヘクタールのうち約2割が耕作放棄地となっている(2010年)。また、耕作放棄地を活用して被災者の営農再開を後押しする国の支援策(以下「被災者支援実証ほ」)の存在も知っていたからだ。

 「被災者支援実証ほ」は、もともとあった国の耕作放棄地再生利用対策を被災者用に拡充したもので、避難先などで耕作放棄地を再生して行う営農経費を全て支援する手厚い制度である。しかし、好条件ながら使い勝手が悪く、高橋さんのように利用を諦める被災農家が相次いでいた。