日本よりも圧倒的に早く
国際的に栄えたマラッカ

マレーシア・マラッカに息づく「グローバル商法」の伝統なぜかアジアに付きものの、ぼったくりが見られないマレーシアのマラッカ。その理由は一体どこにあるのだろうか?

 筆者は、マレーシアの首都、クアラルンプールの郊外の大学に勤務しており、自宅もその近くにある。日本で言えば、東京近郊に住んでいるようなものだ。

 そのクアラルンプールから高速を車で2時間ほど南に走ったところに位置するのが、マラッカである。15世紀、ポルトガルの植民地となる前、マレーシアは「マラッカ王国」を名乗り、マラッカを首都として、マレー半島とスマトラ島(現インドネシア)を治めていた。マラッカは交易都市として、インド、中東、そして当時明国だった中国との貿易によって栄えた。日本でも琉球王国が正式に交易を行っていた記録がある。

 日本人にも馴染み深い宣教師、フランシスコ=ザビエルが、カトリック布教のアジア拠点としたのも、ここマラッカであった。

 クアランプールが日本で言う東京ならば、マラッカは京都にあたるだろう。もちろん、京都ほど長い歴史はないものの、マラッカ王国からポルトガル支配、オランダ支配、イギリス支配、旧日本軍支配、そして再びのイギリス支配を経て、1957年にマレーシアとして独立するまで、波乱の歴史を経てきた。

 その痕跡はいたるところにあり、戦争で傷んだ建物がそのまま歴史建造物として観光名所になっているほか、その歴史的な町並みは2008年に世界遺産に登録されている。

 筆者もマラッカは大好きで、仕事でも観光でも何度も訪れている。そしてその度に、かつて世界の一大トレーダー分岐点だった街の凄さに魅了されている。日本が戦国時代に突入し、武将たちが国内の戦に明け暮れている頃、マラッカは貿易拠点として、世界中の商人が集まる国際都市であった。つまり、日本よりも圧倒的に早くグローバル都市として栄えていたのである。