企業文化の変革は、トップダウンの命令ではなく「社会運動」、つまり従業員らが織りなすムーブメントによってこそ実現する。グローバル製薬会社の事例が示す、変革を運動として展開する方法とは。


 文化とは風のようなものだ。目には見えないが、その影響は見たり感じたりできる。追い風が吹けば航海は楽になるが、向かい風だとすべてが困難に陥る。

 適応力と革新性を高めようと目指す組織にとって、文化を変えることは、

 変革における最も難しい挑戦となることが多い。既存の企業文化では伝統的に、オペレーションの卓越性と効率に重きが置かれる。イノベーションを起こすには、それと対極をなすような新しい態度・行動がリーダーと社員に求められる。

 しかし文化の変革は、トップダウン型の命令では実現できない。文化とは、従業員の共同体としての心情と習慣、そして「ここでのやり方はこうだ」という共通認識の上に成り立つからだ。権力者は命令に従うよう求めることはできても、プラス思考、信頼、信念、創造性を命令によって持たせることはできない。

(筆者らの1人が所属する)IDEOは、最も大きな変革は、社会運動によって実現することが多いと考えている。社会運動の提唱者らは、新たな社会規範の制度化に向け、いかに人々と関わり集団を動かすのか。民間企業と社会の違いに関係なく、リーダーはそれを知ることで教訓を得られるのだ。

 ●社会運動を意識したドクター・レディーズの事例

 ドクター・レディーズ・ラボラトリーズのCEOであるG. V. プラサドは、この点を熟知しているリーダーの1人だ。

 同社は、インドに本社を構える創業33年のグローバル製薬会社で、安価なジェネリック医薬品を製造している。7つ以上の事業部門を27ヵ国で展開しており、従業員数は2万人以上。このため、意思決定の複雑さが増し、拠点間の連携が乱れるようになっていた。長年にわたり多くの業務手順を設けてきたのは、しかるべき理由があってのことだが、それらの手順が同社の動きを鈍らせてもいた。

 プラサドは自社の文化を、機敏でイノベーティブ、なおかつ患者中心のものに進化させたかった。それには、全従業員の足並みを揃え活気づけることが欠かせないと心得ていた。

 そこで経営陣はまず、自社の目標と意義を見出すことから取りかかる。彼らはIDEOと協働しながら数ヵ月をかけて、店頭販売員から研究員、外部パートナー、投資家に至るまであらゆる関係者のニーズを洗い出した。こうして、会社としての目標を定義して絞り込み、患者を中心に据えた短い表現にまとめた。「健康に待ったなし(Good health can't wait.)」である。

 ただし、経営陣は新しいスローガンを啓発ポスターにして貼り付けたり、全体会議で連呼したりする代わりに、まずは自分たちの意思決定の指針としてひっそりと使うことから始めた。この理念を口で説いて回るのではなく、行動で示すことを目指したのである。

 あらゆるチャネルにおけるプロジェクトは、機敏さ、イノベーション、顧客中心主義を促進するものに絞られた。製品パッケージは、使いやすさと服用法順守を向上させるようデザイン変更された。ロシアの営業担当者は、医師らのための知識ハブの役割を担うようになった。医師の技量が上がれば、患者がもっと健康になるからだ。また、社内に包括的なデータプラットフォームを設けたことで、従業員は顧客の要望に対して能動的に応じ、迅速に問題を解決できるようになった。

 ここに至ってようやく、目標を言葉にして共有すべきときが訪れた。まずは社内で全従業員に、それから外部に広める。社内の決起イベントにおいて、従業員は目標を伝達され、その実現の一翼を担うよう促された。全員が、現在の各自の役割で「健康に待ったなし」という理念にどう貢献するのかについて、約束を立てるよう求められた。

 ドクター・レディーズは翌日、この目標を公に掲げた新たなブランド・アイデンティティとウェブサイトを発表。その直後、創造性を組織的にサポートすべく、ハイデラバードとムンバイに「イノベーション・スタジオ」を新設した。

 プラサドは、企業文化の変化をすぐに目の当たりにし、次のように述べている。

「『健康に待ったなし』という理念の導入後、ある研究員は私にこう話してくれました。15日で製品を開発し、既存の社内ルールをことごとく破った、と。そう語る姿は誇らしげでしたよ! 通常ならば、原料を入手するだけでも数ヵ月かかるはずで、その後の薬品開発のプロセスについては、言うまでもなくもっとかかる。でも、彼はそれほどの切迫感をもって行動したのです。そのときに学んだリーンなやり方を、いまの彼はあらゆる業務プロセスに適用しています」

 ●運動とは何か

 ドクター・レディーズの取り組みと社会運動を比較するには、社会運動について的確に理解する必要がある。

 社会運動とは、ただちに「行動」する必要に迫られて始まるものだと思われがちだ。ところが、社会運動に関する研究によると、実際のところは「感情」に端を発するのだという。社会に蔓延する現状への不満や、現行の社会の制度や機関、権力構造は問題を解決してくれないだろう、という思いだ。前向きなビジョン、そして大衆の力で前進する道を示す声が沸き上がるとき、こうした不満の芽が運動へと変わるのだ。

 さらに付け加えると、社会運動は概して小さなところから始まる。情熱的な推進者のグループが、いくつかのささやかな勝利をもたらすことがきっかけとなるのだ。たとえ小さな勝利でも、彼らは無関心な人々にその効果を見せつける能力に優れ、それによって運動に勢いがつく。こうしたグループが既存のネットワークやインフルエンサーをうまく取り込むと、運動は大きな力を得て拡大する。最終的に運動が成功すると、リーダーはその勢いと影響力を活用して、正規の権力構造や社会のルールに変革をもたらすことができる。