子どもから老人まで
日本人に「人権」は存在しない

 立場主義で尊重されるのは「立場」であり、「個人」ではありません。従って、日本に「人権」は存在しません。「さすがに言い過ぎじゃないのか?」と思う方もいるかもしれませんが、立場主義による人権無視は、日本中の至るところで見られます。

 大学に入ると、学生たちはクラブ活動にいそしみます。最初の顔合わせ時は、お互いに少し緊張気味にキョロキョロし、自分の「立ち位置」を模索します。これは、動物がお互いのニオイを嗅ぎ合うようなもの。「お兄さんキャラ」「いじられキャラ」などの目に見えない「立場」があり、ニオイを嗅ぎ合いながら、「俺はこのキャラだな」「お前はこっちだろう」というような立場の配分が無言で行われます。

 時には、先輩(ボス)が立場を割り振りますが、彼らも絶対権力を持つわけではありません。ボスがニオイを的確に嗅げず、ズレた割り振りをすると、ボスの座から追い落とされかねませんから、ボスだって緊張します。こうして割り振られた立場から、メンバーたちは逃れることができず、各立場に付随する役を必死にこなします。もし役をこなせなければ「ぼっち」になる。これが友達地獄の始まりです。

 企業に入れば、名刺を持ちます。私は大学卒業後、住友銀行(当時)に入行しましたが、客先では「住友さん」と呼ばれたものです。名作アニメ『機動戦士ガンダム』では、ひ弱な青年・アムロが、カッコいいモビルスーツ・ガンダムに乗り込んで活躍する様が描かれていましたが、これはサラリーマン世界で「住友銀行」といった強力な名刺を持った若造の表象です。そして、個性を伸ばしながら一人前になるのではなく、「住友マン」であることを徹底的に叩き込まれます。

 家庭では、子どもが生まれれば夫婦は「パパ」と「ママ」。このように名前ではなく立場で人を呼び、立場と立場でコミュニケートするというのが、日本人の意識にしみついているのです。個人が自分の考えを優先し、立場をないがしろにすることは許されません。

 一方、立場のない人は役もありませんから、極端なことを言えば「死んでもOK」。だから日本人は「役立たず」になることを異様に恐れるのです。昨年起きた、相模原障害者施設大量殺傷事件の犯人は、「障害者は役立たずで社会に負担をかけているから殺すべき」と考え、それを実行しました。彼ほど極端ではないにしろ、多くの日本人は、彼の思想を薄めたような価値観を持っています。このことから目を背けるべきではありません。