“経営の神様”として知られる松下幸之助の妻、「松下むめの」の生涯を描いた感動の物語『神様の女房 もう一人の創業者・松下むめの物語』が刊行された。10月1日からは、ジェームス三木脚本、常盤貴子、筒井道隆出演でNHKのドラマ化も決定した(土曜日夜9時より。総合テレビ・全3回)。
  著者の高橋誠之助氏は、幸之助・むめの夫妻の最後の執事として、二人に臨終まで仕えた人物である。松下幸之助には数多くの著作・評伝などが残されているが、夫人については実はほとんど知られていない。五里霧中の商品開発、営業の失敗、資金の不足、苦しんだ人材の採用と教育、関東大震災と昭和恐慌、最愛の息子の死、そして戦争と財閥解体…。幾度も襲った逆境を、陰となり日向となり支え、「夫の夢は私の夢」と幸之助の描いた壮大なスケールの夢を二人三脚で追いかけていったのが、むめのだった。
  この連載では、本書プロローグ全文掲載、著者インタビューなどを通して、小説「神様の女房」と小説の主人公「松下むめの」の魅力について、紹介していく。第1回は、プロローグの全文を掲載する。

プロローグ
奥さん、ほんまにありがとう

 こうして壇上に上がるなど、何年ぶりだろう。前はいつのことだったか、むめのは思い出そうとしていた。たしかにかつては、会社を手伝っていた時期がある。自ら工場にも出た。経理の役割を担っていたこともある。だが、そんな会社の仕事の現場から離れて、もう三五年になる。その間に、会社は驚くほどの成長を遂げ、日本を代表するような存在になった。

 壇上には、会社関係をはじめ、実に七〇〇〇を超える人々の目が熱く注がれていた。昭和四三年(一九六八年)五月五日、大阪・枚方の松下電器産業体育館。会社が五〇周年を迎え、式典が行われることは聞いていた。すでにほとんど会社の経営とは関わっていなかったむめのに、今回はどうしても夫婦で参加したい、一緒に壇上に上がってほしいと珍しく懇願したのは、夫だった。

 隣に座っている夫、会長の松下幸之助は立ち上がるとゆっくりと壇の中央へと進み、話し始めた。妻、むめのは、壇上で話す夫の姿を、久しぶりに後ろから眺めた。

「思い出しますと、五〇年前、私ども夫婦はささやかな姿で仕事を始めたのでありますが、当時、会社が今日のように大を成すとは夢にも考えておりませんでした。ともかく生活の道という切実な考えで仕事を始めたのであります。
従業員の方とても四、五名でございました。経営が成り立っているかどうか、わからないながらも、やるからには仕事は一生懸命やらなくてはならないと、時間を超越しまして、朝早くから晩遅くまで仕事を続けてまいったのであります」

 ここで、幸之助が不意にむめののほうに振り向いた。むめのは驚いた。スピーチの最中に、後ろを振り向くなど、これまでにはないことだったからである。幸之助はゆっくりと再び正面を向き直すと、再び話し始めた。