災害で大きな被害が出る度に、法制度の改正が後追い的に繰り返される。津波然り、原発事故然り、建物の耐震基準もまた然りだった。

「だった」と過去形で書いたのは、宮城県沖地震(1978年)の教訓を踏まえ、1981年6月1日に施行された「新耐震基準」が、その後に起きた阪神淡路大震災で大きな効果を発揮したためだ。

 最大震度7という激しい揺れにもかかわらず、1982年以降に建てられた建物は、75%が無被害ないしは軽微な被害で収まった。かたや、1981年以前の建物は約3割が倒壊・大破し、中・小破を加えると3分の2に上ったのである。

あなたの家が着工されたのは
1981年6月1日より前? それとも 後?

 着工が1981年6月1日より前か後か。それは、大地震による建物の安全性を占う一大ベンチマークとなる。旧基準が想定しているのは、震度5強程度まで。新基準は、震度6強~震度7を視野に入れているから、各段の違いがある。

 ところが、北区の住宅のうち44%は1980年以前に建てられたもの。旧基準時代の建物の割合は、23区で一番高い。

北区――耐震基準を満たさない「団地の街」で、高齢者が頼みにする若い防災パワー

 北区に古い建物が多い理由の1つに、団地の存在がある。公的賃貸住宅の比率が江東区に次いで2位の北区は、団地の街だ。もともと大団地は古い建物が多いが、なかでも北区は団地開発の先進地だったため、公的賃貸住宅の9割近くが1980年以前の建築である。

 しかし、そのほぼ全てが民間の建物である木造住宅に限って見ても、1980年以前の建物が過半を占める。北区に古い建物が多いことは、団地だけでは説明がつかない。