マナーにさえ気をつければ
「飲みニケーション」は潤滑油に

 酒を飲むだけがコミュニケーションではない、という人もいるだろうが、みな自分の仕事をこなすので精一杯という今の風潮のなかで、いったいどこで上司と部下が深い話をするのかという問題もある。そういう相互理解不足のなかで、衝突や対立があれば、立場が上の者が有無を言わさず従わせるような形になるのも当然ではないか。

 つまり、悪いのは「飲みニケーション」ではなく、「飲みニケーション」の名の下に行われる「酒席でのパワハラ」なのだ。にもかかわらず、両者を混同して、「飲みニケーション」そのものがパワハラの温床であるかのように世の中に認知されてしまったことが、結果として事態をさらに悪化してしまっている恐れがあるのだ。

 もちろん、そんなのはこじつけだと一蹴する人も多いだろう。

 ただ、日本では古来「酒」というのは単なる嗜好品ではなく、神事や祭りで必ず捧げられているように、コミュニティ内の安定を保つための極めて重要な「コミュニケーションツール」だったという歴史的事実がある。社会人類学者の中根千枝氏も「酒」(東京大学出版会)のなかで以下のように語っている。

「社会生活において制度的に個人の欲求が抑圧される度合いが大きければ大きいほど、人間関係の不安定さが存在すればするほど酒の役割は大きくなる」

 いまの日本社会で「酒」というものは、会社からまっすぐ帰って自宅でひとりチビチビやったり、気の合う仲間とたしなむ「嗜好品」に成り下がってしまった。しかし、それでいいのか。パワハラにならないかと腫れ物のように部下に接する上司。何を考えているのか分からない上司に、淡々とディスられてストレスがたまっている部下。このように人間関係が不安定になっている今だからこそ、「飲みニケーション」が必要なのではないか。

 ちょっと部下を厳しく叱責しただけでも、人事から注意されるこのご時世。部下や後輩と「飲みニケーション」をとるのが怖いというのはよく分かるが、怖がっていると、かえってマズい事態になるかもしれない。

 ネチネチと説教したり、昔の武勇伝を聞かせたり、深夜まで連れ回したり、なんてのを避けるのは言うまでもないが、たまには勇気をもって部下や後輩を誘ってみてはいかがだろうか。