全力で取り組んで成果が出なくても気に病む必要はない
全力を出せない人も罪悪感を持つ必要はない

 経済は成長しなければならないという至上命題があります。

 最近でこそ経済学者の間でも成長神話を否定する向きもあるようですが、それでも圧倒的に多くの人は、去年より今年のほうが成長していないと経済は回っていかないという強迫観念を持っているように見えます。

 貯蓄に関しても同じことが言えそうです。日本人は死ぬ間際に最もお金を持っていると指摘されています。欧米では40代から50代を境に、あとは徐々に使っていく傾向が見られるといいます。

 生きている間は、貯蓄でさえ増やし続けなければならない。備えがなくなることへの底知れぬ恐怖はもちろんあるでしょうが、経済と同じように成長(増加)していかなければならないという強迫観念があるのかもしれません。

 人間は、赤ん坊が大人になっていくように、ある年代までは成長し続けます。国を考えても、新興国はある時点までは成長を続けます。

 しかし、目に見える形で何かが増えていく、何かが積み上がっていくという意味での成長は、成熟に向かう過程で徐々になくなります。マイナスに向かう「衰退」は誰もが嫌がるでしょうが、「停滞」することを認めてもいいのではないでしょうか。

 人間には、日々成長することが必要なのでしょうか。人間は評価されないと気が済まないのでしょうか。そもそも、日々の生活の不満があったり、人生に後悔があったりしてはいけないのでしょうか。そんな根本的な命題を、いまいちど問い直してもいい時期だと思います。

 がむしゃらに全力で走ることが悪いとは言いません。

 ただ、その努力に見合った成果が得られる保証はありません。100%の力で疾走した結果何も得られなくても、考えすぎる必要はないと思います。成果が出ていても、心身がすり減ってしまう前に注意することも大切です。

 一方、頑張れない自分に必要以上に罪悪感を抱く人もいます。そういう人には、気に病むことはないと伝えたいものです。

 むしろ、全速力で駆けることが社会の美徳と規定し、頑張れない人が罪悪感を抱いてしまうことのほうが、社会にとって遥かにマイナスだと思います。

 今回は、「ほどほど論」の2つの意味のうち、一つ目を取り上げました。次回は、もう一つの意味、択一思考を取り上げます。